Aerial view of Mt. Fuji crater taken with a drone / 絶景 富士山頂空撮
今のオレには肩書きなんてなんにも無いけどね
昔のことを言い出す人が大嫌いである。
昔、ああだった、こうだった、こんなにオレはアタシはエラかったのだよ~んとか言う方々である。それこそ反吐が出る。だから、できるだけそういうタイプの人とは会わないようにしている。こっちにも我慢の限度があるからだ。
しかし、私もそう思われているらしい。つまり過去のことを自慢して生きているって。肩書きが欲しくて、いつまでも拘泥しているんだろ?って、言われることがあるからである。今、何をしているのだ?と聞いて来る人は例外なしにそういうタイプが多い。
誤解である。私には肩書きなんかなんにもない。あるわけない。あるとすれば年金生活者だけである。そんなのは肩書きにはならない。
だから、横文字系の飲み屋のオネーチャンじゃないが、名前と携帯くらいしか私の名刺には刷っていない。刷っていないと言っても、自分で作ったつまらない名刺である。ペラペラの。
それにほとんど必要ない。仕事人時代とは、まったく様相が変わってしまったからである。ま、名刺の裏には現在興味関心のあることというのを書いてはいるが。それも簡単に。相手との会話に困るからである。話の糸口になるように書いているだけである。それくらいの配慮はあるのだ。いくらアホの私だって。
退職してこれほどだとは思わなかった。つまり人間関係が希薄になるってことである。予想もつかなかった。ただし、老人大学とか郷土史とかの新しい人間関係はできてきたから、それはそれ。楽しんでいる。それがむしろ醍醐味になっている。会話をするようになった方々も多くなったし、なにしろ職業が別になったというのが、実にありがたい。
もう拘泥しなくていいからである。現役時代のことを忘れてもいいからである。だから、後輩諸君の誰がなにをどこでやっているかなんてことはまったく記憶にない。
ニンゲンナンテ勝手なものである。現在の興味関心しか記憶に残らないからである。実に勝手なものである。
ところがである。
そういう方々ばかりではないから世の中は始末に負えないのである。先日、老人クラブの役員とちょっと話をしていたら、市町村教育委員会の*長だったとか自慢話ばかり。嫌になっちゃったよ~ん。バカバカしくて。ホントにこういう人間がいるんだと思った。かねて噂には聞いていたけれども。
嫌悪感を抱いたのは、私も同じようなレベルの人間だと思われていたということである。退職しても、私のお世話になった世界のことに興味関心があって、いつまでも拘っていると思われていたらしい。正直、私はもう関心がないのである。だからホントに、誰がどういう組織でなにをしているかということがわからないのだ。退職した人々も含めてである。
肩書きが無くなってしまったのであるから、おとなしくしていればいいのだ。それをである。いつまでも、現役時代にこういうことをした、ああいう成果をあげた、どうだ?オレのやったことはすばらしいだろう?って拘っているから、死ぬに死ねないのである。
そんなもんに拘泥していると、ろくな死に方をしないだろうと思う。
どうせ、死んだら消滅してしまうんだよ~ん。誰だってそうなんだから。もっと死に方の勉強でもしたほうがよろしいと正直思っているので。いかに死ぬか、いかに死ねるか。最大の関心はそこにあって、私の関心は退職後の肩書きではない。絶体にない。
仕事人時代の時間は、永遠に続くわけではない。退職した時点で、ぷつんと切れてしまうのである。そこを理解できていないと、過去の思い出話だけで生きることになる。それを老残というのである。老醜と言ってもいい。
だからある時点で諦めることである。もう終わったのである。自分だけで思い出に浸っているのならばそれでいいだろう。ブツブツと一人だけで言っているのならば。
それを他人に言っても詮方ないことである。だいいち迷惑である。それも、現役時代にどんなにエラかったとしても、関係のない部署とか、組織だったら、こっちはなんにも知らないからである。話の合わせようがない。
それよりもこれからである。
未来志向である。
いかに老人として快適な時間を過ごしていくかということである。それしか私の興味関心はない。過去のことは忘れてしまったし、語る意味もない。
これからである。これからどうすんのか。鬼と伝承芸能をおっかけて、あちこちと旅するのも趣味だし、それを駄文に書き散らしてくのも趣味である。カメラにおさめるのもそうだ。趣味の世界である。
過去を追っかけるのならば、本当の過去、歴史というものを追っかけた方がずっと楽しい。
自己満足かもしれないが。
くだらない過去の自慢話なんか聞いていたって時間の無駄である。バカバカしい。
もっと孤独に生きている方が好ましい。どうして放っておいてくれないのかと思う。なんだか、最近の日本はちょっとおかしいのではないかと思うからである。連帯とか、絆とか絶体に反対できないような(絶対的価値というらしい)ことを声高に、叫んで押しつけてくる。デモがその良い例である。絆もそう。大震災以来、どうにもこうにも気持ちの悪いCMが打ち出されてきているから、むしろこっちの方が警戒すべきであるのに、誰も彼も同じような価値観でもって動いている。それでいいのかね、それで。
日本国民全員が同じような価値観と、生き方をしていたら、それこそ暗黒の時代に逆戻りである。ユニークな生き方をしている人も許容できるくらいな器のでかさを持っている方が、好ましいと思うからだ。鼓腹撃壌ではないが、むしろそっちの方が幸せだと思っているからである。マジに。
今日は朝から大雨である。
今日も夜にはバイトで塾に行く。楽しみである。楽しみ。若い人との対話ができる。昨日も英語オンリー。それでも、私はあたたかく見守る。未来があるからである。たいしたものである。彼ら、彼女らは。
午後からgymに行くけどね。ちょっと左膝が痛いけど。さっきシップを貼ったから大丈夫だろう。
じゃぁ~。
(^_^)ノ""""
虐げられている人々を迫害するチカラは誰も持っていないです。
戒めですね。まったく。 fb.me/51icLPbw3
出願資格は50歳以上、大阪の短大が特別入試 について考える univlog.jugem.jp/?eid=4313
>ばあちゃんは『優しさ』の権化みたいな人だった。
いつもにこにこしてて、言葉を荒げることもなく、
本当に穏やかな人で、家族みんなが、ばあちゃんのこと、大好きだった。 fb.me/7IXzQDYOH
>グローバル化がダメだったようですね。早稲田、慶応、上智大学は500位~800位といったところ fb.me/5ng5IJzhC
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