妙なジー様二人がいつまでもスーパーで立ち話をして(ご迷惑でしたでしょうけど)
昨日、図書館に本を返却して、予約していた本を新たに借りてきた。哲学者の中島義道センセのである。四冊。二週間の期限付き。読めるかな?読めるだろう。二週間もあれば。
そして、隣にスーパーマーケットがあるから、そこでヨーグルトでも買おうかと物色していた。
そしたら、呼び止められた。友人にである。彼は卵を持っていた。もうかれこれ四〇年近い年月がたっている友人である。職種は違ったものの、なんだかんだとつきあっていただいてきた男である。
職種が違って・・・とはいうものの、最初は一緒だった。私の方が、その仕事から追い出されてしまったからである。つまり、私のわがままから、試験を受け直してオサラバしてしまったのである。カタイ仕事だったけど、勤務する職種が異なってしまった。こういうつきあいは、それで終わりになる可能性も高いのだが、彼は私を捨てることもなく、会えばクチをきく間柄である。ありがたいものである。見捨てることもなかったからである。
年齢は彼の方が一歳年長。しかも、同じ東北の出身である。だからウマがあうのかもしれない。
同レベルでクチをきけるという友人である。結婚式も招待されたり、したりした。
ところである。彼も大病をしたという。内視鏡で初期の**を切除したという。初期だとなんともないらしいが、思わず顔が曇ってしまった。それから、お互いに病気のことが話題になってしまった。私も去年の11月2日に強制入院させられたからである。都合十六日間入院したのだった。
もうこういうことが、お互いの話題になってしまう年代になってしまったのだなと思った。
ま、お互いに子どもたちは巣立ちをしていったから、安心でもある。しかも彼の子どもたちは全員大学院で学んでいる。第一子は、ドクターでもあるから安心であろう。私もそうだ。孫までいる。私の方はドクターなどという仕事はしていないが。
そろそろ人生の総括に入らなくちゃならなん時期だなぁ~と二人で話していた。
「もういいよなぁ~、もう」って盛り上がっていたのだよ。
これ以上せせこましく働いていたって、命を縮めたらしょうがねぇじゃん!と、妙に明るく言い合っていたのである。時々思い出しては、「笑っていうような話じゃないけど(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)」と言いながら。
深刻な話ほど明るく喋っているんだから、妙ちきりんなじーさま二人である。もっとも、彼にはまだ孫はいない。
そんなことはどうでもいいのだが、こういう話題になるっていうことが妙な気分なのである。
無理して明るく振る舞っているわけではない。正直なところを告白しているだけである。病気のことをである。お互い年金生活をしているから、これから就職してなにかになってやろうというような野心もない。あるわけない。健康にいささかのマイナス点があれば、就職は不可能であるからだ。
その気もないし。
しかしである。まだ生きていたいもんである。もう少しはである。せめて東京オリンピックは見てみたい。そんなことを二人で言い合っていた。
明るくである。たぶん大丈夫だろうということになった。それで別れた。お互いの健康を祈りつつ。そして、お互い酒豪だったのに、もう飲めなくなってしまったことも判明したので飲む約束はしなかった。
彼も区長かなんか退職してからやったので、夜の会合が多くてそれでもって病気になってしまったらしい。「オレも副区長なんかやれって言われたよん」と言ったら、「止めとけ、止めとけ」と言われてしまった。「つきあいが多くて、病気になっちまうぜ」ということである。そりゃそうだろう。区の役員をやると傘下に町内会の班組織がある。私の区で、14班くらいある。それの全部に出席しなくてはならない。しかも、宴会つきである。これじゃ無理である。ますます具合が悪くなる。
確かに区長をやって地域に友人知人もできたと彼は言っていた。それはそうだろう。ありがたいことである。
しかし、私も老人大学で地域に友人知人はできてきた。それでいいのである。私の職種は、彼と違って地域との関連があまりない。転勤も広範囲であったから、いわゆる地元とのかかわりがナカッタ。だから、退職してからそういう友人知人をつくろうと思っている。かなり成功してきたけど。
そんなものである。
だからなんにも焦る必要はない。焦って生きても、ノンビリ生きても人生の残り時間は一緒である。引き算をしていけばいいだけである。所詮そんなものである。
そして、自慢をしないことである。
オレは、アタシは、ボクは****というエライ仕事をしていたんだとかナントカと自慢しないことである。そんなのは現役時代にしか通用することでしかない。それなりに社会貢献はしてきたのだろうけれども、本当の社会貢献というのは、黙ってするべきである。沈黙こそ尊いものはない。ライセンスでもなんでも自慢するために、取得するもんじゃねぇだろうにと思うからである。
お互い、今、何をやっているのかということも話題になった。彼は退職後再雇用をしてもらってそれこそ生涯学習の仕事をしていた。年金が満額出るようになったから、今現在は悠々自適である。うらやましいような境遇である。
私は相変わらずである。惚け防止のために、学習塾で、某大学で非常勤講師、専門学校でバイトしているしがないジジイである。
彼がもっとも興味を持ったのが、学習塾であった。どの教科科目を教えているのだと言うから、国数英だと正直に言った。学年は?と聞くから、中学三年から高校生までだと言った。そしたら驚いていた。「オレにはもうできねぇ」と言うのである。彼は理科系の大学院まで行った男である。そんなはずはないだろうと申し上げた。「オレにだってできるんだから」と。
やはりこの3月に退学した大学院で、英語の試験もあったから、その準備のために密かに勉強していたのが良かったのかもしれない(受験させてもらえなかったけど)。そう思った。そう思ったから彼に言ってみた。妙に納得してくれた。そういうことである。そういうこと。
妙なジー様二人がいつまでもスーパーで立ち話をしていたのである。
でも、楽しかったね。
若いときのつきあいはやはり大切にしておくべきである。
そう思った。
さ、今日もgymに行ったり、読書したりする。
(^_^)ノ””””