行動が、「生きる原点」になってくれるからである。命を保ち、精神状態を保ち、それこそ「生き延びること」が可能になるからである。生きるというのは、じっとしていることではない。動いて、動き回ってナンボの世界である。
折れないこころということを考えた。熊本の地震があまりもひどいからである。
ボキの住んでいる九十九里浜でも東日本大震災の時に、14名の尊い命が奪われた。それを思ったからである。
でも、九十九里の方々は折れなかった。たくましく復興を目指していった。我が故郷の東北も3.11の東日本大震災の時に、潰滅状態まで追い込まれた。記憶にまだまだ残っている。でも、東北人は、こころまでは折れなかった。
このことである。言いたいことは。
簡単に絶望することはたやすい。誰でもできることである。思想的な挫折でもって、ニヒリズムに陥り自死を選らんだのがけっこういた世代であるから。ボキ等団塊の世代というのは。左翼思想から過激派となり、大学紛争でバリバリにやっていた世代である。ボキ以外は。
だから、ボキはアホみたいに(みたいじゃないな、アホそのものですな)楽天的なのである。そもそも思想そのものがない。あっても自分のものになっていない。もっと言えば、宗教でも哲学でもそうだが、ボキの場合は巧妙に文学に落とし込んでしまっている。ニヒリズムも、ドストエフスキーの世界に落とし込んでしまったっけ。それで一番最初に在籍した大学文学部の卒業論文を書いたのだった。ずるいのかもしれない。
しかしそれでもボキは行動的なのである。うじうじしていない。そんな暇があったら、行動する。走りながら考えていくというタイプである。したがって、失敗することも多々あるんだけど、あまりそういう意味では反省しない。
結局アホなのであるが、しかしこういうのもなかなかいいもんである。
行動が、「生きる原点」になってくれるからである。命を保ち、精神状態を保ち、それこそ「生き延びること」が可能になるからである。生きるというのは、じっとしていることではない。動いて、動き回ってナンボの世界である。
もしそれを成果というのなら言えばいい。成果主義は大嫌いであるが、成果のために行動するのではない。「生きるため」に行動するのである。自他ともにである。
暗いモノには背をむけることである。それが肝要でアル。失敗した経験もである。しかし、失敗体験は後でクスリになる。我が人生を立て直すときに、指標となる。だから、ボキは某大学大学院を強制退学させられた(古女房ドノによって)ことを、反省材料にしていつまでもこだわっているのである。なにもいじけて書いているのではない。後でクスリにしたいから、忘れないようにしているのである。ただし、背をむけているけどねぇ~。冗談じゃねぇ~、もう二度とあんな失敗はしねぇぞ!と密かに思っているからである。
今回の熊本地震でも、クルマの中で過ごしている方々のことをマスコミが取り上げていた。赤ちゃんがいるから避難所では迷惑になるからという若いお母さんの台詞も聞いた。夜泣きをするからと言われていた。なんというけなげな我慢であろうか。聞いていて涙が出た。ボキにも孫がいるからである。他にも多くの方々が、クルマの中で寝ているとのことであった。昨日の晩、ラジオでも言っていた。そしてその内容に驚いてしまった。
クルマの中でじっとしていると、血栓ができて、それが肺に飛び、肺血栓塞栓症という病気になるから、定期的にクルマの外に出て運動しましょうと呼びかけていたのである。ラジオが。
なんとこれはボキのかかってしまった病と一緒ではないか。肺血栓塞栓症という病気は、つまり「エコノミークラス症候群」である。
だからである。
でも今のボキはクヨクヨ悩んだりしていない。「10秒で忘れる」ことにしている。むろんクスリは呑んでいる。呑まないとアカンとドクターが言うからである。これもまたボキの方針である。専門家に任せた以上、効くクスリも呑まないと効き目がないではないか。
もっともアレですな。
忘れる速度も10秒どころか、ドンドン短縮してきているけど。これが一番やっかいである。
英語も中国語も忘れるスピードがアップしている。ま、若い時からそうだったからなんも気にしない。忘れたらまた覚えればいいだけである。行動である。行動。
*
今日もまたwalkingをやる。毎日、同じ石仏と会ってくる。一日として同じ顔をされていない。これがなにより楽しみである。
昨日は、歩いていたら知人と出会った。田んぼ道である。
久しぶりであった。農家の方である。一緒に湯西川温泉に都合10回は行ったであろうか。軽トラックに乗っておられて、「と~ま君ではないか」となって、懐かしい話をちょっとだけしたのである。お互い健康の話になってしまった。知人も前立腺がんになられたとのことであった。4年前。
ボキも病気になった。しかし、めげない。そんなもん10秒で忘れることである。そもそも、人間は「病気本来無し」なのであるから。
そうなのである。死ぬまでは生きているんだから。どっちにしても。知人ともそういう前向きの話で終わった。
去っていく軽トラックを見送りながら、思った。お互い元気で生きていきましょうって。
生きているうちが花であるから。
Bye-bye