「退職してからなんにもやっていない」「どうせ暇なんだろう」「毎日やることがなくて大変だろう」ということを言ってくる人が多いが(そのとおりだけれども)
日々を無為で過ごしていると、まことに申し訳ないと感じる。ボキのようなアホでもそう思っているのである。ましてや、熊本地震で避難所生活をされている方々のことを思うと、タダ生きているだけのボキが情けなくなってくる。しかも、ボキは病人である。クソの役にも立たない。だから、せめてものつぐないに募金だけはささやかながら協力させていただいている。それくらいしかできない。
しかし、東北石巻の方々は、あの東日本大震災で援助をしてもらったから、その恩返しとして熊本に支援物資を持ってトラックで出発したとのことである。
九十九里浜も被災した。そして多くの支援物資をいただいた。柔道教室をやっていた体育館に山積みにされていて、柔道教室を移転したが。
今でも感謝している。
それで昨日は柔道の外部指導者としてある学校でやってくれないかと聞かれた。間接的にではあるが。むろん断った。もう柔道はできないからである。140キロもベンチプレスで上げていた豪腕は、またたくまに消え失せて、今では細腕である。細腕繁盛記という物語があったが、ボキの場合は、繁盛していないのであるからなおさらしょうもない。ささやかな年金暮らしであるからだ。
だんだんと記憶も鈍って、惚けが怖いから生涯学習ごっこをやっているだけである。
だったら生きていてもしょうがねぇじゃないかと言われる。事実、そうやって拙ブログには公開できないメールをいただくこともある。ムシするけど。
でも、ささやかながらというのは、ボキの常套手段でもある。だって、こんなボキがこれもやっている・アレもやっていると現在やっていることを自慢していたらそれこそアホである。そこまでバカではないつもりである。
確かになんの成果も生み出してはいない。金銭的にはである。されどささやかながら、明日の日本を支えてくださるだろう若者への支援・助言はさせていただいている。アルバイトで。
決して自慢できるような話ではないから、黙ってやっているだけである。
それでいいのである。それで。
で、それでもって勘違いされるのである。
つまり、「退職してからなんにもやっていない」「どうせ暇なんだろう」「毎日やることがなくて大変だろう」ということを言ってくるのである。ボキの子供もそういうふうによそ様から聞かれるのだそうだ。そして、そのまま肯定しているからますますボキは不要物となって、世間に伝わってしまう。
だから、柔道の外部指導者なんていうことになるわけである。
しかし、ボキはたかが柔道4段である。田舎柔道、素人柔道しかやったことがない。美しい技なんてできない。キタナイ技で、しかも寝技専門である。まさに、ボキの生き方そのもののような柔道であったから。暗闇柔道と言ってもいい。ともかく、裏街道を歩いているような妙な柔道である。正式ではないのである。キタナイのである。しかもクサイ。ダサイのだ。
わははっはっははっはははっはは。
高校と大学学部時代とセンセごっこをしていた時代に顧問をしていただけである。稽古は毎日やっていたけれども。関東大会にも行ったけど。生徒を連れて。それだけ。
柔道を始めたのは、健康になりたかったからである。それに、中学時代にひょろひょろで、弱かったからである。勉強は好きだったからやってはいたのであるが、そもそもが軟弱な文学少年であったからホトホト自分がイヤだった。
大人になってからもやっていた。北千住の町道場にも行っていた。大学の学部時代に。
それでもボキは4段にしかなれなかった。それでいいのである。それでもボキはマンゾクである。
もう柔道は忘れてしまうことである。
今更、柔道をやったら、骨折してしまう。
無理はしないことである。
オノレの器にあった余生を送ることである。
マジにそう思う。
アルバイトをやっている程度でいいのだ。
今日も塾に行くけど。
その程度である。
じゃぁそろそろこの辺りで。
Bye-bye