二度ほど張良は、黄石公に沓を履かせる。それでもって、師匠は兵法の奥義を伝授する。これってなんか不思議なウソ話みたいである。なんだか騙されているような気にもなる。
拙ブログの記事を書き忘れると惚けるから、今朝はかなり気をつけて書くようにした(^0^)。
あ、(^0^)なんて変換している場合ではなかったですな。かなり差し迫った問題であるから。
そして、オノレの能力に謙虚に注意して日々を過ごしていかなくちゃならん。老いては子に従えであるというし。若いもんにいろいろ教わることである。
まちがっても、ボキのこれまで培ってきた経験や方法知をあまりにもひけらかしていたら、反感を買うだけでアル。そういうのは、知りたい若いモンが教えてくれとやってきたら教えてあげるというスタイルでいいのである。
またまた教えてもらったよん。昨日のバイト先の某大学や、学習塾の若いモンに。
だからボキはまだまだであるのだ。
発達途上。未だ道遠しである。
考えてみれば、非正規のバイト社員である。それがなにを勘違いしたのか、エラそうに説教垂れていたら、呆れられますな。
わははっはははっははははっははっは。
武道の師範というのがそうだったよ。
つまり教えないのである。武道でそれなりの師範にまでなった方々というのは。ノウハウをである。
聞きたい、マスターしてみたいというのだけが、弟子入りを許される世界である。だから、雑巾がけ三年とかというシステムがあるのだ。武道の世界は。
どうも、その辺りを勘違いしていた。
だれでも簡単にできるマニュアル化というのが、実はくせ者である。そういう世の中になっているといえばいえるんだろうが、せめてボキは反抗していきましょ。
反抗ジジイである。それが一番似合っているから。
なんでそんなことを思ったかというと、居住地の中学校から柔道の外部指導者としてきてくれないかと声をかけられたからである。即答した。つまり断った。なにを今更である。もうボキは、ジジイである。しかも病み上がりである。柔道の稽古をするわけにはいかない。それこそ主治医のドクターに叱られてしまう。
あまりつれない返事をしたから、候補者を推薦しておいたけど。
で、その推薦した方から昨日電話がかかってきたのである。いろいろと指導方法について話をさせていただいた。彼は、結果的にはその話を受けた。柔道5段である。大先輩である。たいしたものである。だから、大先輩!ぜひやってくださいなとお願いしたのであるが。
さて、それで思い出したことがある。
能楽でいう「張良」の話である。
あらすじは以下のとおりである。※粟谷能の会HPからの引用http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0309.html
「張良はある夜、老人が沓を落としたので履かせると、五日目にまたここに来れば兵法の奥義を伝授すると言われる夢をみます。夢のこととは思いながらも、五日後に出向くと老人はすでに待っていて遅参に怒り、さらに五日後に来いと言い捨てて消え失せます。
そして五日後、今度は早暁に出向くと、老人はまだ到着しておらず、そこへ黄石公と名乗る老人が馬に乗って現れて、履いていた沓を川へ落とし、再度、張良の心を試します。
張良は沓を拾おうと川に飛び込みますが、激流に阻まれなかなか取れないでいると、龍神が現れ沓を取り上げてしまいます。しかし張良は剣を抜いて龍神を威嚇し沓を取り返し、川よりはい上がって黄石公に沓を履かせます。黄石公は喜び、張良に兵巻物を与え兵法を伝授します。龍神は実は黄石公の分身で、これからは張良の守護神となると約束して川へ消え、また黄石公も高い山へと消えて行きます」
つまり、この「張良」は、何を会得したというのであろう。師匠の黄石公は履いていた沓を二度ほど落としただけである。
なんだ?このジジイは?もしかしたら惚けているんじゃないか?とボキなら思ってしまう。
それで二度ほど張良は、黄石公に沓を履かせる。それでもって、師匠は兵法の奥義を伝授する。
これってなんか不思議なウソ話みたいである。なんだか騙されているような気にもなる。
兵法の奥義を教えてくださいなとお願いして、師匠のやったことはホントに沓を二度落としただけであるからだ。それでもって、張良は何を悟ったというのであろうか。
しかし、この能楽の話にはからくりがある。つまり、師匠の黄石公は、「沓を二度落とした」というその一点に関わっているのだ。
意図的にである。わざとである。
わかりますかな?
この行為の持つ意味が。
ボキも、わざと拙ブログには書かないでおきましょう。
わははっはははっははっははははっは。
お後がよろしいようで。
Bye-bye