この病気はなかなか理解してもらえない。二つも手前の駅から歩いてきていて、「ボキは病弱なんです」と言っても理解できないだろうから。具合が悪いという方々は、たいてい安静にしているからである。ボキはまるっきり反対である。じっとしていたら病気になっちまうのであり、事実病気になってしまったのである。
老人大学の授業が今日から始まる。本来なら登校して行かねばならんのだが、行けない。行かない。
何故か。
今日は県都千葉市に行かなければならない。ボランティアでやっている交通安全推進員の委嘱状交付式に出席せよ、ついては研修もやるから出てきなさいということであるから行く。デタラメはできないからである。研修会では当然統計資料もいただく。だからである。
老人大学の方はある意味リラックスしている。なにをいまさらである。何かになろうとしているわけではないからである。強いて言えば、友達づくり。単なる暇つぶし。同じようなご老人たちとおしゃべりをしてくるだけであるから、割り切っている。それでいいのだ。それで。張り切ってご老人たちとトラブルを起こしているのもいるが、あれはいかがなものか。勘違いをしているのである。老人の中でリーダーになりたいと思っている御仁もいるのだから。
笑ってしまう。
年金暮らしでなにを勘違いしているのかねぇと思うからでアル。ボキはそんなことは一切しない。ただのジジイでおおいに結構である。張り切ること、トラブルになりそうなことは一切やらない。
隠居したのである。
だったら、すべてを諦観して過ごすことである。若い方々にジャマにされないように、トボトボと歩いていけばいいのである。その方が無駄なエネルギーを消費しないで済む。言わば、ハイブリット車である。かなり草臥れた中古車だ。燃費最優先だけど。
人生は必ず終わりがくるからである。それを完全燃焼して、短くすることはない。できるだけ長くオノレの命を使う、使わせていただくことである。
だから、ボランティアで痛めないことである。身体も、命も。無理してはアカン。無理をするのは、他人の評価を気にするからである。
評価の結果、誰にも相手にされなければ、それはそれでいいではないか。
相手にされなければ、天にむかってつぶやいていればいいのである。今は、ボキがやっているブログもある。つまらないブログではあるけれども。これでいい。十分である。そして、毎朝ブログでつぶやいていれば、ボキ自身の惚け防止にもなる。たまには、メールをいただいて、対話も成立することがある。
他にも、FacebookやTwitterもやっている。それが薄っぺらいけど、ある種のつながりになる。これもまた惚け防止になる。いいもんである。
しかも、今日は千葉駅の二つ手前から歩いていく。
当然運動のためである。
なぜか。
ボキはエコノミークラス症候群で入院したからである。じっとしていて病気になったからである。運動しないとまた入院である。じっとして、読書をしゴミ論文を書き、それで病気になったのである。
これは熊本地震で亡くなった方と同じ病気である。今、テレビやラジオでも報道している。クルマの中に避難していて、じっとしていてエコノミークラス症候群で亡くなったのである。
他人事ではない。
ボキと同じ病名であるからだ。
これまで、千葉市にボランティアでやっている文化講座や古文書講座の会議や準備で出かけていって、ボキの病気は周囲になかなか理解してもらえなかった。
そりゃそうだろう。
二つも手前の駅から歩いてきていて、「ボキは病弱なんです」と言っても理解できないだろうから。
具合が悪いという方々は、たいてい安静にしているからである。ボキはまるっきり反対である。じっとしていたら病気になっちまうのであり、事実病気になってしまったのである。
今(6:08)も、ラジオのニッポン放送でエコノミークラス症候群の特集をやっている。聞きながら打鍵しているが。
亡くなった方には申し訳ないが、健康には十分注意したいものである。
さ、これくらいに。
出かけますので。
Bye-bye