ボキは、うまい話を経験したこともないし、良い学校にも行っていないし、良い就職もしたことないから恫喝だけは言わない。言っても無駄であると十分知っているからである。
危機感をあおってそれを克服するという手法で、組織を立て直すというのが多く世の中には見られる。これっておかしくないですか?と思っているのだが。
恫喝の論理である。どうだ?これだけアブナイのだよ、勉強しなくちゃ良い学校に入れないよとか世間にはそういう話がゴマンとある。脅しのテクニックである。就活でもそう。丸の内で、スーツを着て、ビジネスバックを持って、かっこうよくサラリーマンをやってみたいいいいと思っている若者が多いらしい。そういう人生を送りたいのだったら、勉強せよ!と迫るわけである。
ボキは、いかがなものかと思っているからである。どうにでもなると思っているからである。
結論からいうと、そんなもんなんとかなるのである。ミンナ同じようなことを考えて同じ仕事を目指していたら、成功はない。誰もやらない仕事や、職種を目指した方がいいとすら思っているからである。
分母の少ない仕事の方が需要がある。なに、簡単である。そういう需要をてめぇで作り出していけばいい。武道家なんてお勧めである。そんなもんで喰っていけないではないかという反論は十分承知の上である。武道をやっているという数の分母が少ないからである。やっていればそのうちに、需要が出てくる。柔道だって、フランスの方が、競技人口は多いのである。日本は柔道の競技人口ですらかなわない。しかも、危険だからと言って、敬遠される。わかるような気もするが。
もっと、良い例を出そう。
大学の父さんじゃぁなくて、倒産問題である。学生が集まらないから、存亡の危機に陥ると世間では言っている。そりゃそうだろう。学生が集まらなくちゃ、そういう大学は要らないからである。
だから、多くの大学は国際化を名目に留学生を集めるのであろうし、社会人大学生も入学させる。ボキもその手の社会人ジジイ院生だったからよくわかることである。
さらに大学は、予備校の先生や経営者、高校の先生、会社の経営者等々にも意見を聞いている。それもまたありである。そうやっていろいろと工夫しているんだろう。
学習塾だって生徒減少の時代になっているから、経営破綻するところも出てくる。
高校だって同じ。ニーズがなければ、破綻する。そしてそういう危機感をあおって生徒募集に熱中する。集まらないと、校長の責任にするらしい。
しかし、大学は国家の補助金が莫大である。だから潰れないのである。国家がその補助金を出さないとなったら、かなりヤバイとボキは思っているのだが。
結局なにを言いたいかというと、一言で言えば「ニーズがない」ということである。ニーズがなければ、去っていくしかない。世の中から。
仕方のないことである。時代が求めていないのだから。
しかしである。
時代が求めていないからと言って、そんなもんはオレの知ったことではないというのが、歴史的建造物である。今日の別記事に取り上げてみた「赤坂迎賓館」である。あるいは京都や奈良にいくらでもある歴史的建造物である。
短期的ではないのである。
大学なんて所詮明治以降に登場してきただけである。綜芸種智院は別として。
あるいは、組織をいじれば大学、高校、学習塾がV字的な回復ゾーンに入ると考えている方々も多いのであろう。組織をいじったところで無理である。
大学、高校、学習塾というのは、あることを教えてみたいと思う人が作って、こんなことを教えるから来なよ!とやったのが始まりではないのか。
好きな時に教えて、好きな勉強分野をやる。それだけである。
いい加減に組織をいじるから、袋小路にはまってしまう。そういう原点を忘れていないかと思うのである。原点通りにやったのが、福澤諭吉である。彼は、ボキにはまったくご縁のない一万円札になっているから、毎日ありがたくて拝んでいるんだが(^0^)。でも、財布の中には相変わらずいない。一万円札にはこのところホトホト愛想を尽かされているから。
わはっはははっはっははっはははっはは。
つまり福澤先生のやったことは、私塾の変種であり、なにより彼の情報発信がたいそうすばらしい。だからあれだけの大学を作ることができたと思う。
結局言いたいことは、恫喝していたら話にならんということである。
むしろ応援してあげなくちゃ。
やってみたいということがあったら、応援してあげるから、大いにチャレンジしてみてよんと言えばいいのである。
努力しないと良い学校、良い会社に入れないからという恫喝ばかりして何になるんだろうか。
自分だって、そんなうまい話は転がっていないと知っているのに、知らん顔をしているのではないか。
ボキは、うまい話を経験したこともないし、良い学校にも行っていないし、良い就職もしたことないから恫喝だけは言わない。言っても無駄であると十分知っているからである。
そういう意味で、学者センセとか、研究者というのも大変な世界であるのだろう。よく知らない世界でありまするがねぇ。
さ、今日は来月故郷山形で従兄弟会があるので、切符を買ってくる。クルマで行くのを断念したからである。新幹線で行ってくる。なんと時間的には、東京-九十九里間より早いのである。笑ってしまう。昔は、延々8時間も汽車ぽっぽに乗っていったのにねぇ~。隔世の感である。
便利な世の中になったもんじゃ。
ありがとうぞんじます。JRの皆様方。
Bye-bye