樹木希林 居酒屋 (2017年)
「自分はたいしたものである」という虚像 goo.gl/XzAa4b
— Waishan Richunan (@tym943) 2018年10月3日 - 08:00
「自分はたいしたものである」という虚像 - と~ま君の団塊世代独り言日記 blog.goo.ne.jp/tym943/e/3ea65…
— Waishan Richunan (@tym943) 2018年10月3日 - 08:01
無念無想で歩きたい。難しいけど。すくなくとも、相手をけなして歩いていたら、転んじまうではないか。
「なぜその学問が楽しいのか」ということを、示してみたい。
先月から通っている千葉市の某高校で授業をさせていただいているが、まさにこれを狙っている。漢詩を扱っているが、関連資料が山ほどある。印刷して配ったものである。しかもA3。一つの漢詩から、いくらでも話題が発展する。
まるで自分が楽しんでいるようである。こっちも楽しんでいるのが伝わっているのではないかと思っている。
むろん同時進行している他のクラスとの兼ね合いもある。学習指導要領も守っている。シラバスも大事である。だから、まるっきり自分勝手にやっているわけではない。他の先生方に聞きながら、授業レベルも含めて調整しながらである。
これもまた楽しい。某大学で教授学も教えているが、こちらでしゃべっているようなものを実践しているわけである。
漢詩が終わったら、日本古典である。土佐日記をやる。これも今から楽しみにしている。古文書講座で教えていただいた最初の教材が土佐日記であったからだ。なぜ、日本古典が楽しいのかということを身を以て示したいものである。むろん、生徒の実態把握が最優先になるのが教授法の基礎である。十分ついてこれると判断したからでもある。
小論文指導もしているが、こちらは最も好きな分野である。例文を自分でも書きながら指導しているから、かなり参考になるだろう。
今日もこれから行く。朝4時には目が覚めてしまった。自然と起きてしまう。楽しいからである。
まるで遠足に行くような気分である。
こんなことは定年退職後には、かつてない体験である。
あ、もう5時になる。感謝して朝食をいただいて、身支度に入ろう。
昨日、歩いている時に転んでしまったから、注意して駅まで歩こう。
この時も、ある人とのトラブルを思い出しながら歩いていたから転んだのだ。(_ _ )/ハンセイである。
愚痴・悪口・誹謗中傷その他もろもろを考えていたら話にならない。そんなもん、相手にしないことである。他人を批判したら、みんな自分に返ってくるのだ。それ相応に。
クワバラ・クワバラである。
楽しいことを伝えたら、これも自分に返ってくるのだ。やりがい、生き甲斐となって。
難しいけど、無念無想で歩きたい。淡々として歩きたい。すべてのトラブルを意識下から追放して、歩きたい。
そんなことしか、ボキにはできないからなぁ。
(。・_・)ノ