と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

大希林『御御御付け(おみおつけ)と親分』

2018年10月07日 21時23分29秒 | とーま君の流儀2018

大希林『御御御付け(おみおつけ)と親分』

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ジジイになったら、「頼まれごと」をやって「他人に喜ばれる」存在になっていくことである。 過去も未来も考えなくていい。

2018年10月07日 07時55分32秒 | 精神のありかた

過去も未来も考えなくて結構、毛だらけ、猫灰だらけ、けつの周りは・・・である。今の自分がなにをやっているのか、それが大事でっせ(^_^)。

 

 

過去を悔いているばかりの人は(ボキもそのうちの一人だが)、もうやめるべきだ。と、そう思うことにしている。

定年退職後に某大学大学院を中退せざるを得なかったことが、ボキにとっての悔いている過去。病気になって中退したのだが、学力劣等というのが最大の原因だった。しかも、中退するまでそのことに気がつかなかったのだから、おめでたいものであった。

立ち直りのために、毎日考えていたのだ。中退してからもいろんな本を読んだ。なぜこんなに苦しいのだろうかと。挫折してあきらめたのだから、苦しいわけである。

しかし、その間勉強だけはした。歴史や国文学の読書である。読書だけでなく、カード取りもやっていた。ノートもむろんである。

無駄ではなかった。

成果が唯一あった。それは、「今の自分がいかに未熟であるか」ということを知ったからである。確かに定年まで一つの仕事をやり遂げた。それで退職できた。年金も全部もらっている。ある意味ご褒美である。退職金もいただいた。

だから完成したのではなかった。

退職して日々をむなしく過ごしていた。さらに追い打ちをかけられたのが、某大学大学院中退であった。生涯学習ごっこと自称しながらけっこうあちこち手を出していた。それが、全部無駄になったような気がしていた。

俺はなにをやっているのだろうと、自分が嫌になっちまった。

最近になって、アルバイトを頼まれた。全部引き受けた。むなしい日々を送っているよりは、ま、良いかと思った。そして感じた。

「頼まれごと」をやっていると、「他人に喜ばれる」のだということをである。

如実にその結果が現れた。千葉市の某高校で生徒たちが、ボキの授業を楽しみにしてくれている。他の先生に言ったそうである。楽しみだと。通信制高校での授業もそうだ。いろんな事情を抱えている生徒たちが、こんな授業は受けたことがないと言ってくれた。

ありがたいものである。

やはり、ボキは生涯現役でやっていこうと思っている。先月から働き始めた某高校では、自学自習として源氏物語の私家版訳にチャレンジしている。古文書で源氏物語を所有しているので、それをA4の大判ノートにコピーして、訳にチャレンジしている。ふむ、これを死ぬまでやっていこうと思っている。それこそ生涯学習であり、生徒たちに還元できるというものである。

ジジイになったら、「頼まれごと」をやって「他人に喜ばれる」存在になっていくことである。

過去も未来も考えなくていい。

今、目の前の「人、こと、もの」を大事にしていくことである。

自分がやるべきことはそれだけである。

 

昨日は、来月17日(土)に所属している歴史の会で歴史探訪をやるので印西市に行っていた。一日であった。歴史の会事務局の方々と事前下調べであった。事務局の方々は学芸員で専門家である。ボキなんかとはレベルが違う。柳田国男とか、利根川図誌の話を伺いながら楽しく下調べをやっていた。

感謝である。

こういう後半生が待っていようとは、お釈迦様でも考えなかったに違いない。

 

(´∀`*)ノ

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10月6日(土)のつぶやき

2018年10月07日 06時25分06秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/