「淡々と」「なんでも頼まれごとは引き受けて」「これまでの経験値を最大限に発揮して」
今、ボキはたびたび拙ブログでも書いてきたように、五つのバイトをやっている。それはそれで良いのだが、全部組織で成り立っているのだ。当たり前である。むろんボキよりも若い方々が多い。
もう、ボキは隠遁者のようなもので、ただただ淡々としてやらせていただいているだけである。老後の楽しみであるからやっていられるのだが。
組織に正式には所属していない。だから、楽なのである。むろんいくばくかの収入がある。ある以上は、これまでの経験から学んだものを全部出している。国語なのに、コンピュータを駆使している。教科教育法もずいぶん工夫してやっている。20代の頃からの研鑽が、今役立っている。というのも、なんでもかんでもおもしろいからである。
ドンドン興味関心が拡大しているのだ。土佐日記でもかなりおもしろい授業になっている。関連資料がたくさんある。さらに、生徒にドンドン質問して答えさせる。ちょっと疑問点が出てきたら、次の時間までには資料を印刷して配る。古文書も活用した。むろん正解はボキが準備して配ったが。古文書で古典を勉強したことなんかないだろうから。
古典文法の授業も通り一遍ではない。大学受験からの視点だけで勉強を始めると、飽きてしまうからだ。そりゃ、ボキの出た高校のような進学校なら話は別であるが。
そんなわけで、実に「楽しく」「楽に」「生き生きと」毎日を過ごしているのだ。
思うに、人生って「楽しく」「楽に」「生き生きと」過ごさないと損だ。
いつもは言わない損得勘定で生きましょうやと、ここぞとばかりに申し上げたい。
そもそもが、損得勘定というのが嫌いなんだけど。
それでも、「楽しく」「楽に」「生き生きと」生きていれば、少なくとも損はしない。得になるといってもさしたるものではない。経済的な面では関係のない話ではある。
そんなものより、毎日が楽しければ、これ以上のものはない。
リタイアしているのだから、ボキは白ワイシャツにネクタイというスタイルではない。ループタイと柄物のシャツで授業をやっている。ループタイだと、首筋が寒くない。どうも、クールビスというのは嫌いである。だらしないという印象しかない。だからやらない。ネクタイも、もう結構である。37年間もボキのイノシシのようなクビについていたのが、ネクタイである。
そうなのである。もうボキは定年退職したフリーなのである。ループタイなら、正式な格好ではないだろうけど、せめてのマナーだと思っている。
フリーなら、バイトとは言え、精一杯やらせていただいている。
そして、「淡々と」「なんでも頼まれごとは引き受けて」「これまでの経験値を最大限に発揮して」生きているのである。
こんな生活を送っているけど、これもまたあらかじめシナリオが決まっていたのだと思っている。
8:39である。
これから歩いて神社に行ってくる。毎日の日課である。神社でありがとうございますと手を合わせてくる。お願いごとは一切しない。
ホンマにありがたいものである。
合掌。