「力を抜いて」「気を抜いて」というのが、実に大事でありまする。
「力を抜いて」「気を抜いて」というのが、ボキのモットーでもある。とりわけ、他人から「頼まれごと」をしたからと言って、それでもって病気になっていたら話にならないからである。
なにも今更評価されるために働いているのではない。定年退職してからは、年金暮らしである。ささやかな五つのアルバイトをしているのはぼけ防止のためであって、成果が欲しくてやっているわけではない。
今更である。今更、高い評価をいただいてなにかをやってやろうと企んでいるわけではないのだ。
だから、ボキは「いやぁ私ごときものが・・・」と言わない。それは謙虚を装った傲慢でしかない。謙虚高飛車人間の言うことである。
今現在の自分の力でやっていくしかないではないか。こんなボキでもよろしいのですかとは聞くけど。確認の意味である。
相手は困っているから、ボキに頼んできたのである。別にこちらはやりたくてやりたくて待っていたわけではない。いろんな方々に断られてきたから、と~ま君のようなアホでも良いかと思って頼みごとをしてきただけであんだろうから。
ならば、素直に「ありがとうございます」とお礼を言ってから引き受けることにしているのだ。
頼まれごとというのは、自分がかいている汗でもって他人の幸福に結びつく。
これは頼んできた人に感謝するしかない。生きている目標が見つかったからである。少なくとも、オノレだけのシアワセだけを考えているという狭い了見からは解放される。
しかし、100キロの荷物を持ってくれと言われたら断るしかない。柔道現役のときはできたけどねぇ(^_^)。
つまり物理的に無理な場合は断るしかない。できないと正直に申し上げるしかない。借金もそうだ。借金の申し込みはお断りである。だって、こっちは年金暮らしである。無理である。
それに、ボキは頼まれごとをしても全部自分でやろうとはしない。可能な限り、組織を活かす。他の人でもやれることは、なるべく任せていく。これは仕事人現役時代からやっていたことである。
もう限界であるというところまで追い込まない方が良い。それではアカン。
だから、「力を抜いて」「気を抜いて」ということになるのだ。
それが気に入らないという方は、そもそもボキごときには頼みごとをしてこない。当たり前である。
そもそもがである。ボキは、一つのことに鋭意専心というタイプではないのだ。そういうタイプだと、今のように五つもアルバイトをやっているわけにはいかない。どっかで上手に切り抜けているからである。
ま、結局「淡々として」生きているだけだけどねぇ。
わははっはははっははははっはははっはははっはは。
あ、今日は祝日だそうな。
昨日は太極拳に行っていた。だいぶ動きがスムースになってきたと言われた。蹴りの時に、足も上がるようになってきた。後は、この太極拳講座が日曜日から撤退してしまう。他の曜日では受講不可能になってしまう。五つもアルバイトしていたらできるわけがない。それこそ物理的に不可能である。
来年また受講してみようと思っている。それまでは、DVDで自学自習するしかない。
オシマイ。