隣人を愛せよと言われても、お互い波長が合わなかったら、会わないことである。無理は禁物だ。
「汝の隣人を愛せよ」とは、バイブルにも書かれている。よく言われる教訓でもある。
ボキは聖人君子でもなんでもないから、これは無理だと最初からあきらめている。お互い波長が合わなかったら、無理に愛することはできないし、会おうとも思わないことである。
世間は、やれ親戚だから、兄弟だから、夫婦だから離れてはいけないというけれど、離れても親戚は親戚・兄弟は兄弟・夫婦は夫婦である。樹木希林さんのような別居夫婦だっているのだから。
離れられない理由を最初に考えるから苦しいのである。そんなもん、後付けでよろしい。本当は離れても暮らしていけるのだ。
理由なんか追求していちゃ物事は解決しない。原因もそうだ。
こうなっちゃったのは、あーたのせいよと言われたことがある。あるが、そりゃ全部他罰主義というもんである。自分だけが正解であって、いけないのは全部他人のせい。理由とか原因を求めて一生涯人のせいにしている御仁がたくさんいる。挙げ句の果てには、酒に逃避して、めちゃくちゃ暴れ回る。そんなんでいいのかねぇ。時間の無駄であるからだ。
そういう御仁とはアワナイ方が良い。アワナイから会わないのである。親戚でも、兄弟でも、夫婦でも同様である。
ケンカになっちまうからだ。
そんな体験はいくらでもしてきたからである。中には、今日朝から雨が降ってきたから原因はオメェにあるとまで言ってのけた御仁もいた。つまりアホである。アホとはつきあわない方が良い。こっちの身が持たない。そういう本が売れていると知ったが(「頭に来てもアホとは戦うな」という本)、事実ボキもその本を買ってみた。同感だった。アホとつきあっている暇があったら、本でも読んでいるほうがいい。
それに、分別ができていない年齢で結婚をしてしまうから、離婚が流行する。たいして苦労もしていないのに、一丁前に大人になったつもりで結婚なんかしてしまう。だから後悔するのである。
人間観察もできないのに、よくまぁ結婚なんかできるものだと思っている。
もっとも、樹木希林さんは「分別のできないうちに結婚しちゃえばいいのよ」とも言われたそうだ。そうかもしれない。分別ができるまで待っていたら、永遠に結婚なんかできるわけもない。
世の中の娘たちは、なんでこんな男と結婚したのかとこっちが見ていても危うい形で結婚してしまう。
愛する対象が欲しいのが女のサガである。赤ちゃんが欲しいというのも、愛の対象が欲しいのである。だから、そのついでに旦那にも口うるさく言ってくるのだ。
なんか「汝の隣人を愛せよ」という教えを誤解しているのではないのか。
そういう建前だけを後生大事にしていると、本質が見抜けない。
ボキのように上っ面だけで世の中を渡っている悪行三昧の人間を説得できないではないか。
ボキなんか、ただおとなしいだけのジジイである。表面上はである。裏でなにを考えているかは、このブログでも明らかにはしていない。ただひたすら駄文を打鍵しているだけである。暇だからだ(^_^)。
さっきまで、柳家小三治の落語をベッドの中で聞いていて強情な男どもに大笑いしていた。キンドルで聞いていた。強面の男どもが、道を譲る譲らないで二時間もケンカしているというような話であった。
大同小異。
ボキもたいして変わらん。
ただし、二時間もケンカするようなアホなことをしていたら逃げるが勝ち。
争いごとは一番良くないからだ。
争いごとをするなら、離れてしまった方が良い。
歩いていて、正面から来たクルマにぶつかって勝てるわけがないではないか。
ちょっと下がれば良いだけである。避ければ良いだけの話である。危険は向こうから去っていくのだ。
今日は、午後から孫と遊ぶ。夕食を一緒にとって。それまではまたまた暇である。
昨日千葉市で歴史の会に参加していた。役員会、文化講座、古文書講座と参加してきた。
時間を見つけて、近くにある古書店チェーンに行ってきた。運動のためである。古本を二冊買ってきた。一冊は高校数学のⅡB。三角方程式が一昨日の塾でわからなかったから、買ってきたのである。
ぼけ防止には良いですなぁ。
わはははははっはははっはははっははははっは。
今日も楽しくすごそう!
(^_^)ノ””””