ボキに風は吹いているか、川からナニガ流されてきているか。それが大事です。
あることを決める時に、風が吹いているか、川が流れてきているかということを大事にしている。
好き嫌いではなくてである。要するにそういうことなのだが、これは楽な生き方にもつながる。好き嫌いでものごとを決めていると、間違うこともあるからだ。特に、あの人間は嫌いだからということで遠ざけていると人間関係は狭まる。それでも、無理して会っている必要もない。嫌いだったら、敬して遠ざけるのも一つの方法である。
さらに、会いたくないのなら、会わなければ良し。もう大人なのだから、仮病でもなんでも使ってアワナイのだから、会わないことである。そういう意味で、ボキは実に気楽である。亡父亡母の親戚が九十九里浜には一人もいないからである。身よりもない。あるのは、長女と長男だけである。気楽なもんである。どうせ、ひとりぼっちで死ぬ。ま、このことはあまり言い過ぎると内館牧子女史に叱られますがねぇ。最近かなり売れているようだし。「すぐ死ぬんだから 内館 牧子 (著)」という本。読んだけど、かなりおもしろい。オナゴの生き方は確かに内館牧子女史の言われるとおりであろう。この作家は相撲の研究で東北大学大学院修士課程まで行った(しかも年取ってから)、怪物である。だから好きなんだけど(^_^)。
インテリを気取っている輩には、ドンドン質問をして、足下をすくってやればいい。インテリ気取りの人間というのは、他人を指導したがるからである。どうせ大した実力なんてないのだから、墓穴を掘らせるのである。新聞屋が、就任したての大臣によく使う手である。これに引っかかって退任する政治家もいるのだから、世の中はおもしろいものである(^_^)。
引っかかる方もアホである。それくらい考えられないのであろうか。
新聞屋も新聞屋である。仕事人時代に、いろいろとあって新聞屋からの取材を受けたことがある。デカイ声を立ててまるっきり恐喝まがいであった。だからそれ以来、ボキはICレコーダーで電話を録音しているのだ。ボキのようなジジイもいるのである。世の中は怖いのである。
質問をされたら、その裏の意図を見るべきである。意図もなんもないのでは、オノレのアホをさらしているようなものである。質問には、意地悪な意図があると思って対応していった方がいい。
そうした世の中からは、攻撃されないように防衛して行くべきである。質問されたら逆に質問してあげることである。意図をさぐるべきである。そして、こんなアホとは金輪際会わないと思うべし。相手だって、ボキを評価しているわけである。低評価で。
だったら、こっちも煙にまくことである。
どうせ人生狐と狸の化かし合い。
そして、川の上流から流れてきたもの、風が持ってくるものを鋭敏に感じることである。
それから物事を決めても良いのである。決して焦ることはない。
「風流な人」というのは、そういう人なのである。世間の動きに左右されない。自然に流されて生きる人のことなのだから。
ふうううむ。
たまにはまともなことを打鍵するんですなぁ。ボキは。
わははっははははっはははっはははははっははははっははは。
ヾ(*´∀`*)ノ