と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今年はまだ一度も国外に行っていない。だからYouTube動画を見て楽しんでいるだけ(^0^)

2019年06月03日 07時00分15秒 | とーま君の流儀2019
今年はこれまでまったく海外旅行に行っていない。行ったら拙ブログにもアップするから、まだそれ関連の記事がない。行っていなのだから、アップできるわけがない(^0^)。

用事ができて行けなくなったからだ。スペインに行きたかった。予約金も払っていた。しかし、ダメになった。一ヶ月以上前なら、ツアーもキャンセルできるから断念した。

残念だったけど、仕方なし。

それで、昨日は古女房ドノと一緒にYouTubeを見ていた。旅の動画である。カシオペアで北海道に行ってきたという御仁の動画であった。こうやって見ると、カシオペアも悪くは無い。しかし、列車の旅は気分が暗くなっちまう。あまりにも叙情的であるからだ。演歌にも多いではないか。列車の旅で、暗く悲しい気分になってしまうのが演歌に多いからだ。ボキは、ジジイらしく演歌が大好きだけれども。石川さゆりとか坂本冬美なんか最高である。あ、美空ひばりも好きだ。

漱石の小説でも多いではないか。三四郎然りである。なんだか、日本人的特性がボキなんかにもあるような気分になる。

なぜか。それは列車の旅がゆっくりだからである。時間がかかるからだ。これが飛行機だとあっけない。スピードが違うからである。スタート地点と到着地点の時間差が感じられない。アメリカなんか、着いたら昨日になっちまうではないか。大笑いである。たとえ、何時間飛行機に乗っていたとしても、列車の旅とは違うのだ。

ソトが見えないせいもあるのだろう。飛行機だと雲しか見えないではないか。だから叙情がないのである。

飛行機に乗って、「東京だよ、おっかさん」と言う気がしないではないか。あまりにも快適で、家ごと移動している感じにもなってしまう。

列車だと、向こうの席にもの悲しい美女が座っていたりしたら、それこそ叙情である。哀しそうにしていたら、なんだかその美女の人生まで想像してしまうではないか。あれこれ想像をたくましくしていると、旅はけっこう楽しくなるのだ。

こっちは世間の波にもまれてきた百戦錬磨のジジイである。清いこころなんてひとかけらもない。ただの薄汚れたジジイである。ヒトに自慢できるようなもんもなんにもない。あるわけない。悪行三昧で生きてきた罪人である。おまけにハゲである。汚くて、ハゲで、ゼニもない。無一文である。恥じらいもない。

ううううううううううううううううううううううううううううううむ。

(_ _ )/ハンセイばかりがある。



だからといっておとなしくしてばかりもいられない。あまりにもおとなしくしていたら、舐められる。

舐められたら気分が悪い。そういう時には、相手を無視するこったなぁと思っている。関係ねぇのだ。日韓関係と一緒である。

全部こっちが悪いと言うのなら、相手にしないこった。

自虐的史観はあまり良くない。そういって、自分を責めてばかりいると、ますます袋小路に陥ってしまう。

ま、自慢ばかりしているのもアホだと思うけどねぇ。

俺はエリートだとか、優秀だとか、金持ちだとか。

わはははっははははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。

一遍だけでも言ってみたいけど。ボキは美男で、エリートで、生まれた時から優秀で、大金持ちだって(^0^)。



BYE-BYE!
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/