折口信夫 未来から来た古代人・第四回「未来で待つ人」
短歌や和歌は死んでしまったのだろうかということを、この二・三日打鍵していた。
ボキの知人には、そちらの世界で著名な方もいる。しかも、上司であったから実は困った。なぜか。その上司は、理科系のヒトであって、短歌や和歌にはおよそご縁のない方だと思っていたら、まったく違っていたからである。当時の生徒に、あの壇上のセンセの言った短歌や和歌はどういう意味なのかと聞かれて往生したからである。ま、それだけボキに学力がなかったからでもある。しかし、その後は学習させていただいた。でも、自分で作るほどのレベルには達しなかったけど。
そこで、折口信夫を思い出したのだ。まだ四十代のころに、折口信夫に傾倒したことがあったのだ。事実、こうやって打鍵しているパソコンの目の前に彼の全集がくくりつけの書棚に鎮座ましましている。折口信夫は、國學院大學の生んだ俊秀である。憧れの大学であった。受験しても無駄だとは思っていたが、憧れだけはあった。
それに、ボキは集団就職列車でみちのくから上京してきたばかりで、さらに苦学生であったから、学費の高い國學院大學は当然断念の対象でもあった。進学させていただいていたら、ボキの人生は変わっていただろうけど。
それはともかく、折口信夫は、今のままでは短歌はダメになると言ったのである。「歌の円寂する時」という折口信夫の論文である。大正十五年(1926)に出た論文である。若干39歳である。驚くべき才能である。
この論文で折口信夫は、アララギ派の斎藤茂吉に論争を挑んだのだった。斎藤茂吉は44歳。折口信夫の5歳上。しかも、折口信夫はアララギの有力な同人であった。
しかし、アララギの斎藤茂吉や同人たちの万葉集至上主義についていけなかったのである。古今や新古今への愛着を手放さなかったからである。
折口信夫は、短歌を滅亡させようとしたのではなく、逆であった。救おうとしたのである。短歌再興論でもあったのである。
そして、折口信夫はこのあたりから、一気に言いたいことを言うようになる。それは、古代人に神が存在していたのかどうかということである。我々の祖先である古代人は、孤独の中で生活していたし、感謝の精神も持っていなかったというのである。まったくの孤独の中で、大いなる寂寥を味わっていたのである。呪うべき寂寥であった。
そこに文学の源があったと言っているのである。詩の魂が、チラチラと燃えている闇の世界があるということである。
古代人の寂寥こそが重視されるべきであって、仏教思想に裏打ちされた色即是空とか、他力本願もなかったのが古代人であった。その意味で、仏教伝来は古代人を変質させてしまったと言うしかない。
短歌の伝統と演歌というのは、こういう筋道でつながっていると思うのである。
また、後日このことについては打鍵してみたい。
BYE-BYE!