と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

読書【クレーム対応「完全撃退」マニュアル】援川聡(内容&感想)

2019年06月14日 09時00分31秒 | とーま君の流儀2019

読書【クレーム対応「完全撃退」マニュアル】援川聡(内容&感想)

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「もう・・・嫌いになっちゃうよん」と言ったら、「センセ、ボクのことスキなんか」だって(*^O^*)

2019年06月14日 07時00分04秒 | とーま君の流儀2019
恋愛至上主義と言うか、なんでもかんでもおつきあいとか称して、結局自由恋愛の風潮になっているのではないのか。昔だったら、これって切腹モンではないのか。不義密通は死罪でもあったのではないのか。

そんなことを考えてしまった。

こんな風潮にしたのはなにかとも思った。SNS?・・・・かも知れない。見知らぬヒトとすぐ知り合いになってしまう。危険な人間かも知れないのに、つきあってしまう。ゼニが目的だったらアホである。知り合いどころか、不義密通よりも非道なことをやっていて恥じることがないからだ。

情けない世の中になったものである。

ボキだって、悪行三昧の生き方をしてきた。他人のことは非難できない。しかしである。こんな非道なことはやったことがない。男女関係なんてぇことは、そもそもボキのような顔の持ち主にはご縁がない。だからやらない。やる気もない。

愛の介在しないおつきあいというのがあるのだろうか。どうもあるらしいのだが、それが信じられないのである。妻子を捨て、あるいは夫や家庭を捨て、なんら恥じることがないというのは、愛の存在自体が無いということなのだろうか。

愛を説いたエルサレムのイエスに聞いてみたいことの一つである。もっとも彼は三十代で亡くなってしまった。経験値がないだろう。聞いても無駄かもしれないが。

空海は、このあたりを巧みに説いている。愛欲を徹底的に分析している。専門のお経もあるくらいである。ま、専門家ではないのでこれくらいにするが、なかなか興味のあることである。

もっとある。源氏物語である。光源氏のことである。色好みと言われるが、この御仁(空想の人物だけど)は、ほんとうに色好みであったのだろうか?実際は、十代前半で結婚させられて、おつきの女官にリードされて色事をやっていたのそうな。だから、ほんとうに色好みであったのかどうか、誰もわからないのだそうな。

現代の離婚や少子化というのは、一億総色好み化しているからだと思ってしまったから、こんなタイトルで打鍵し始めたのである。

芸能人の話題にも事欠かないではないか。離婚とか、再婚とかである。もっとある。子殺しである。愛欲のために、子どもが邪魔になって殺してしまう。虐待もそうだ。

子どもに愛情を感じないからである。情けない世になったもんだ。ジジイになったから、余計にこのことは声を大にして言いたいのである。ジジイからの警告である。


昨夜、塾で小学校の生徒に算数を教えていた。ちょっと騒いでいたので、「もう・・・嫌いになっちゃうよん」と笑いながら言った。そしたら「センセ、ボクのことスキなんか」と言ってきた。「そうだよ」と言った。お互いニコニコしながら、別れた。時間がきたからである。

そうなのである。すべての行動は、色好みではない「愛ある行動」からきているのだと思った次第である。

今朝、4時30分から歩いていて、ポケットにある付箋にメモしたからこんなことを打鍵してみた。

わははっはははっはははははははははっははっははははっはははっはは。


BYE-BYE!

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/