[原因解明?] プリウスミサイル状態を新型プリウスで再現、検証してみた
叙情が喪われて久しい。最近のただただうるさいだけの歌にも閉口してしているが、無駄に明るいだけの若者もずいぶんいる。あ、これは若者だけではない。ジジイやババアもそうだったよん(^0^)。
ボキがその典型だった。無駄に明るいだけのジジイであった。
(_ _ )/ハンセイ
昨日、梅雨の晴れ間に夕方九十九里浜にあるスパに行った。昨日も記事にアップしたが、フロと洗面台の交換工事をしているから使えないのである。使えないのは、ボキもそうだが。無用の長物だから。
わははっはははっはははっははっはあっははっはははっははは。
それで、帰り家人と一緒にボキのクルマで家に向かったのである。そしたら、九十九里平野のむこうに沈んでいく夕日がなんとも言えないほど良かった。美しき黄昏である。人生の落日。沈み込む希望。さりとて絶望もない。絶望なんか、とっくの昔に捨ててしまったからだ。なんの憂いもないままの日常。明日も生きて起きていられるだろうかとは思ってもみないけど。
まさに、ボキ等夫婦と一緒である。ボキ等は同い年だから、運命共同体。どっちかが早く死ぬだろうが、同時に死ぬということはあり得ないだろう。飛行機事故を除いては。
で、珍しく家人と夕日を見ながら、良いモンだねぇと会話をしていたのである。こんなことも夫婦そろって会話できるだけ、シアワセというもんである。ありがたいことである。こんな定年後の生活が待っているとは思ってもみなかった。
某大学大学院を中退して良かったとしみじみ思った。あのとき、死んでいたらもう夕日を見てしみじみと現在のシアワセを感じることなんぞなかっただろうからである。
もうなんの未練もない。博士にはなれなかったが、これも運命。生まれたときからのシナリオどおりであったのだ。断念することも教育の主要な柱であると考えてきたが、正解だったのである。
それで、夕日である。
夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
負われてみたのは いつの日か
という歌詞がある。
これである、これ。ネェヤの背に負われて見ていた夕日だとか、否、母の背に負われて見ていたという説があるが、どっちでも良いような気がする。
その「いつの日か」が、かすれてしまっている。記憶がはっきりしない。もう遠くの世界に行ってしまっている。
この歌詞の最後は、
夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
で終わっている。子どもはあったかそうな、愛情たっぷりな背中で竿の先の赤とんぼを見ている。その遙か彼方に、夕焼けが広がっている。子どもの視線は、赤とんぼに止まっているが、子どもは夕焼けに包まれている。遠くに夕焼け、近くに赤とんぼ。そういう構図である。美しいではないか。
こういうのを叙情というのである。
しかしである。こういう風景を見たことの無い小学生が43%もいるのだそうな。ある調査によると。
遠景としての夕焼け、全身を包み込むような落日の光景が消えつつあるのだ。
この歌の歌詞は三木露風、曲は山田耕筰であるが、このことを知ったらなんと言うだろうかと思う。
さらにある。三木露風が住んでいた三鷹市の駅前にあった「赤とんぼの碑」は、心ないものに破壊されていたのだ。三木露風は、5歳の時に母が家を去っている。離婚したのである。山田耕筰も、17歳のときに母をガンで喪っている。だからというわけではないが、この歌には母を慕う叙情がただようと思うのも必然である。
叙情というのは、忘れがたい。
歴史の会で、来年の三月第二週に千葉市民会館で2時間ほど話をさせていただく。ボキがやるのである。良かったら来てみませんか。「日本芸能の観点から見た語りと歌」という話である。動画もふんだんに出てくる。実物のボキが見られる(*´∀`*)。・・そんなヒトいないか。
BYE-BYE!
【紅く染まりゆく ひつじ雲】夕焼け景色のタイムラプス動画4K60fps