歴史の会でお世話になっている千葉市の千葉市民会館も休館になった。昨日、公式ホームページに掲載されていた。歴史の会は、ここでやっているからだ。(*_*) マイッタ。
それから役員の方々と連絡・相談。これもまた致し方なし。緊急事態宣言が延長されることも視野に入ってきた。この会は歴史と伝統がある。だからこそである。なんとか維持発展させていかなくちゃならないからだ。
東日本大震災のことを思い出した。あのときも、ある組織を預かっていた。どうするかという問題が日々迫ってきた。情緒論とか根性論ではない。具体的にどうするかという問題が切迫してきた。しかも、電話が通じない。上位の組織からの指示を仰いでも、連絡ができなかった。
こういうときに、ボキはなにをしたのかということを思いだした。ツイッターを使って生徒や保護者に情報発信をしていたのである。それをあるマスコミが見ていた。そして、危機管理ということで取り上げていただいた。日本教育新聞は記事にもしてくださった。
転んでもただでは起きないというのは、ボキの特性である。やはり、苦学をしながら大学を出た経験はダテではなかった。遊び人が大学に通っていたのとは訳が違うからだ。第一、遊んでいるだけのゼニも時間もなかったからだ。ヒマがなかったのじゃよん。麻雀とか、おつきあいとか自称して女遊びをしているほどの時間もなかったのだ。朝4時からの朝刊、夕方5時からの夕刊配達もあったし、集金も、セールスもやっていたからだ。某県知事の出演していたケンドー青春ドラマのようなアホな青春もなかった。ガキのようなクソみたいな青春がなかったのだ。あったのは、ひたすら労働しているしかなかったくら~~~い青春だったよん。
つまり、視点が違っていた。
これである、これ。視点。
国語の授業でもそうだった。
「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降り積む」
という三好達治の「雪」という二行詩がある。これをどうやってやるかというときに、視点論が登場してくる。たった二行ではあるが、これで二時間の授業が可能になる。そしてそれが出来るかどうかということが、ボキの課題だった。たったこれだけの詩で無限と言っていいほどの授業展開ができるのである。マジにである。まだ、四〇代の時に実践人として取り組んでいたのだ。論文まがいのレポートを教育雑誌に投稿して紹介していただいたこともあった。
だから、視点というのを大切にしてきたのである。
視点を違えて世の中を見ていると、実に面白いではないか。ボキもアホだが、ボキと同等かそれ以上のアホも世の中にはたくさんいるからである。むろん自称インテリやエリートの方々もたくさんおられるけどねぇ。
わはははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっははは。
BYE-BYE!