年賀状が来なかったから、具合でも悪かったのかと思っていた。こちらからは、写真付きのアホな年賀状は出していた。
それが昨日定年退職の挨拶がきた。一般的な誰にでも通用するような大量生産の定年の挨拶ではなかった。ボキだけに書いてくれたのが一目瞭然だった。長文の文面からわかった。あ、覚えてくれていたんかと思った。友人のことである。定年がかなり遅いのはわけがある。某有名女子大学の教授であったからだ。高校の同級生である。
苦学していたボキを激励してくれた。新聞店での思い出をいろいろと書いてくれていた。店に来てくれたからである。フーテンの寅を一緒に見たりした。酒場にも行った。焼酎を一緒に呑んだ。お互いの結婚式にも出た。友人の結婚式には一番最初に友人スピーチをさせてもらったっけ。ありがたいもんである。参加者には、エリートばかりいた。仲人も東大教授であった。
彼にとっては、ボキのような苦学生というのは見たことも聞いたこともなかったからだろう。朝早く朝刊配達に出かけるボキの後ろ姿にナミダが出たって言っていたっけ。新聞配達なんて止めて、大学も受け直せと言っていたっけ。
でも忠告に従わなくて良かった。当たり前の大学生ではなかったが、それはそれで感謝しているのである。
なぜか。精神が鍛えられたからだ。普通の大学生活を送っていなかったから、根性がついた。考え方も、金剛のようになった。ならざるを得なかった。しかし、よく反逆の異端児にならなかったもんだと今になって思う。いじけていたし、世の中を裏からしか見ていなかったからである。
デートも経験してこなかった。つきあうとかナントカってぇことは、ご縁がなかった。だいいち、そんな時間がない。朝刊を配ったら、間で集金があった。セールスもあった。夕刊もやらなくちゃいけないから、大学でノンベンだらりと遊んでいるヒマもなかった。さらに、バイト代で文学書を基地外のように買っていた。文庫も、古本もである。神田にもずいぶん行った。でないと、苦学している意味がないって思っていた。
スタートからして、友人とは次元が異なっていたのだ。それも運命、これも運命。あらかじめ決まっていたのだろうよん。
ボキは、ずいぶん前に定年退職した。あれからずっと、フリーアルバイターで過ごしている。これもまた運命である。
あらかじめ決まっていたのだなぁと感じる。
もうどうでも良いような話ではあるが。
さて、今日は二歳の孫がくる。長男夫婦が働きに行っているし、保育園も休園しているからである。タノシミにしている。
かわゆいからだ(^_^)。
BYE-BYE!