と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

コロナの年代で入学してきた子ども達がかわいそうでならない。学力低下は必至だから。WEBも限られた生徒しかできないだろうからなぁ。こっちにもっと注目して欲しいものである。政府は。

2020年04月20日 05時59分10秒 | 教師の流儀
ボキの行っているバイト先にも先進的な取り組みをしている組織がある。なかなかである。たいしたもんだと思うからである。時代を先取りしているからだ。WEBで仕事をしている組織も多いからである。

これって、対面式の授業しか出来ないガッコは大変だろう。公立はかなわないのではないのか。予算が縛られているし。

それと、コロナで学力低下は確実になるだろう。この4月に入学してきた新入生は、学力が心配である。すでに140時間が消滅してしまったのだ。2月、3月、4月と授業をやっていないではないか。高校入試も、大学入試もこの学年はたいへんなことになるだろう。可能ならば高校入試も大学入試も全廃して希望の学校に全部入れちゃって・・・とまで考えている。

WEBで授業していきたいとなっても、回線をどうするのかとかパソコンを持っていない子ども達をどうするのかとかの混乱が必至であろうから。

危機管理の名人文科大臣はそこまで考えておられるのだろうけど。シロウトのボキが言うまでもない。もっともあれか、庶民のボキごときの書き込みなんかムシだろう。

しかし、心配である。

教育立国できた我が日本である。それを観光立国とか言っているからコロナであわてふためくことになっちまう。

そもそも、浮ついたまるで泡のごとく消えそうな仕事もあるだろうから。逆に大人の仕事も心配しているのだ。

コロナで学校の歪みもよく見えた。勉強ばかりでは無い。部活もそうだ。学校の名誉のためにやっているってぇことが巷間よく言われたが、コロナでこうなってみると、果たしてそうだったのかと感じる。芸術もそうだ。どこまで必要性があったのかとまで思ってしまうからだ。暗記科目もそうだ。自分で勉強していれば出来そうな科目は、学校教育のシステムに耐えられるのかと思ってしまった。

破綻が見えてきたような気がする。

対面での授業って必要なのかとまで思ってしまったからだ。独学していればいいと思うのだ。

もっとも独学に耐えられないという子どももたくさんいるだろう。だから、師弟関係が重要なのである。勉学の手法・方法がわかっている子どもたちは、そんなの関係ねぇと言うのだろうけれども。

なんだか、ボキと一緒で出来の悪い子どもたちがかわいそうでならない。

ボキのようになるなよ!


BYE-BYE!
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/