と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

育児法について

2008年10月01日 22時03分20秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 在校生諸君もいつかは人の子の親になるのでしょう。

 そして、今は保護者の方々の太い脛をかじらさせていただいているわけです。感謝しても感謝しても尽きることはありません。本当に、あなた方は幸せです。


 さっき、国分康孝先生の読書ノートを紹介していたら、育児法について書きたくなってしまいました。

 わたくしもいっぱしの親でありますが、(中途半端かもしれませんが) 常に自分に言い聞かせてきたことは、「親になると言うことは、自分が人間としてどの程度の出来であるかを絶えず問われているということ」の国分康孝先生の言葉でした。

 親子関係を考えてみると、親は子供のおかげで、自分の人生を豊かにしてもらっているわけです。だから、育児の基本はわが子への礼賛でり、感謝であります。

 ずっと以前、そう20年ほど前になりましょうか。サマーヒル学園で有名なニイルという人の、あるいは霜田静志先生の著作にたくさんたくさんふれさせていただきました。その時期は、自分の教育の有り方に疑問を持ったりしていましたので、これらの方々の著作に大変に学ぶことがありました。

 目からうろこでした。

 まだ40歳前でしたから、一人で力んでいたわけです。

 何でもできる、自分でできると思い込んでいました。それも大切でしょうけれども、世間知らずではどうしようもない。つきあいの乏しい大人からは、常識のない子供が育ってしまうと危機感を持ったわけです。

 人生からドロップアウトして、達観し、哲学書などを読みながら、他人や世間を嘲笑して、傍観していくという寸前までいっておりました。一種の気取りなのでした。それはそれで自分で納得していればそれなりの生きがいがあるのでしょうが、わたくしは社会性を捨てることはできなかったのです。格好をつけて、隠者を気取ることはできませんでした。それは子供のためでした。人生は自分勝手な思い込みで生きてはならないと気づかされたのです。

 在校生諸君には逆に申し上げたい。

 ひたすら自分勝手な要求ばかりすることから一歩でも二歩でも離れ、社会性が要求される世間の中で生きているということ、困っている人の一助になることをも視野に入れて、毎日を生活していっていただきたいと。

 自分で自分の言動をコントロールする、橋本左内のいう「稚心を去ること」が、大人になることの第一歩であります。いつまでも子供っぽい言動を自己に許容し、つまらない遊びにうつつを抜かし、時間を無駄にしてはならんのです。あっというまに年を取ってしまいますよ。

 内容を充実させることです。積み重ねです。そして、他人も遊んでいるんだろうと思わないことです。自分のレベルに他人を合わせないことです。よその人は知らないところで、勉強してますよ、きっと。つまらない人間だということがそういう言動からばれてしまいます。

 言葉の使いかたです。
 それは内容がなければ当然充実しません。

 そういう生涯を賭けて充実させてきた自分を開くことが、育児法の最も大切なことであると思うからであります。

 考えましょう、しかと。
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/