と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

謡をやってみたいが

2012年10月28日 21時17分33秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日の能楽の講義はよかった。

拍子合を教えていただいたのである。

平ノリ、中ノリ、大ノリについて本格的に教えていただいた。謡の基礎である。

亡父に教えてもらったことがある。ちなみに、我が親族は全員謡ができた。愚生の結婚式でも数曲謡をやって、祝ってくれた。親族全員である。愚生の友人を含め、居住地の方々はびっくりしていたが。ダレもできなかったから。

これは愚生の故郷の文化的スクリプトなのである。だから仕方がないのである。そういうことである。そういうこと。

 

久しぶりに千葉市街に行った。

現役の時は、いろいろあって、行っていたからなぁ。

活気があるねぇ。

さすが県都だ。

 

そして、久しぶりに古本チェーンに行った。千葉市に何件もあるが、その中の一軒へ。

買わないつもりでいたが、7冊も買ってしまった。

しめて735円。

(^0^)/ウフフ

 

随分買ったが、一冊105円である。大したことはない。現代国語のシグマベスト社の大学受験参考書も買った。さらにうれしかったのが、歴史学者の網野善彦せんせの文庫ホン。これはよかった。

もっとうれしいのが、中央公論の「日本の歴史」シリーズ。中世バージョンと、別巻の図説を2冊買ったのである。これもお得である。105円であった。

年金生活者になってからというもの、ホンを買う喜びがなくなってしまったのである。慨嘆している。情け無いですな。実に。

 

12月の殺生石のチケットを買ってきた。また行く。12月の16日である。これまた宝生流である。初めてかな?観世流が多いな、愚生は。見るのが。流派によって衣装も違うから、興味深いものがある。しかも小書に「白頭」とある。演出が白頭というわけである。楽しみである。

これもまた怨霊の筋書きになっているから、梅原猛せんせのようなことを考えながら見てくるつもりである。

 

チケットを購入して、事務所を出たら、今日の講師の先生がホールにおられたので名刺を差し上げた。要らなかったかなぁ。(^0^)。

大阪の音楽大学の講師の先生である。ちょっとだけお話をさせていただいた。能についての雑談をである。

こんな会話も楽しいものである。

 

会費500円は非常に安価であった。

ありがたい限りである。

本当に。

 

 

 

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ガクセイさんだから

2012年10月28日 09時32分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日の青葉の森文化ホールは、講義を聞くのであった。

アハハである。

まぁ、なんという勘違い。安いわけである。鑑賞会は次の12月であった。

再度、アハハである。じじぃらしいなぁと思う。

でも考えなおした。

講師はまだお若いが、貴重な時間を講義でいただくわけだ。これは実に好機である。

専門性が愚生にはまったく無いからである。

しかも、ガクセイさんではないか。

本学でも、ガクセイさんだからこの資料はあげられないって言われることも多々ある。当たり前だ。

ガクセイさんだからである。

年齢ではないからである。

この4月からたびたびとまどうようなことばかりであった。

60歳で、健康な若人といっしょに健康診断をせよと言われて、嬉々として大学の健康診断を受けたっけ。来年もあるが。あれも笑ったなぁ。

ガクセイさんだからである。

アハハである。

 

 

出来のわる~いガクセイさんだがねぇ・・・・・

自虐

 

 

(_ _ )/ハンセイ

 

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自分の描いたイメージ

2012年10月28日 09時11分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

自分の描いたイメージというものは、大事にされた方がよろしい。

なんでもかんでも他人のせいにしていると、ほんとうにマイナスの方向でそれが実現してしまう。

世の中には世渡りのうまい方がいて、人間関係だけで、上位のポジュションに行っちゃう方があまたおられる。だから、オレもワタシもってやる方が増えるんだろうなぁ。

せせこましい人間関係だけを大事にして、いつも同じメンバーで、ぐちぐちと酒場でヒトの悪口を言っているってぇのは、時間の無駄である。

あるいは、ありもしない専門性をひけらかして、pedanticを気取る。

成果主義から言ったら、せせこましい世界だけの話であって、そんなの成果でも何でもないのである。

 

愚生がなんとなくあらゆる宗教に興味を持っているのは、おわかりいただいているかと思うが、これをライセンス取得のためにはマイナスであるからひっこめよと言われることがある。ライセンス取得のために勉強しているのではない。自虐的に道楽と言っているが、このことの回答は自分のためである。

 

オートバイでツーリングに行っていた。56歳まで。東北地方まで、行っていた。そのときに感じていた。風や雨や、暑さ・寒さを直に体に受けて、頼りになるのは自分だけであるということをである。オートバイは愚生に自立心を考えさせてくれたのである。

だから、ごまをすって生きていこうとは思わないようになったし、急に生き方を変えることもできなかったのである。

今回も同じなんだろうなと思う。

 

結局、愚生は自分の描いたイメージどおりに、それに忠実にやっているというだけなのだなと思う。これでよかったのだということである。

ヒトのせいにはしていないから。少なくとも。

 

(^-^)/

 

 

 

 

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詐話者というもの

2012年10月28日 08時51分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

本当は、オレって実力あるんだけど、

AAAAAAのせいで

BBBBBBのせいで

CCCCCCの術策にだまされ

DDDDDDの事故さえなければ

EEEEEEEのトラブルに巻き込まれて

FFFFFFFFという上司が、親分が悪くて

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というようなことをよく聞いたっけなぁ。

現役時代に。

もうそんなことを聞くこともないから、安心立命である。

それに愚生は本当に元ナントカ校長とか、マルマルせんせというのを知らないのである。

だから、家族関係を言われて、オレのオヤジは高校教育界でど~だらこ~だらと言われても困ってしまう。

基本的に直接会ったヒトで無いと、わからんのだ。

本当である。

本当。

 

「本当は自分はこんな力があったのに、アクシデントやトラブルや周囲に問題があったから、上手くいかなかった」と いうストーリーを作る人。

こういふヒトは、巧妙に嘘をついている。そういうストーリーを作ることで、自分をある意味安心させている。詐話者である。

 

なんだかさもしいねぇ。

だから成果主義が登場するんだろうなぁと思う。

 

詐話なんか作っているヒマがあったら、勉強すればいいと思うんだが。

 

(^-^)/

 

 

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10月27日(土)のつぶやき

2012年10月28日 04時13分43秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
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道楽でやってもいいものなり

2012年10月28日 00時35分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

剣客商売の「東海道見附宿」という作品は読んだのだが、DVDも楽しい。

剣道の道場を経営している浅田なにがしという剣術使いのことが出てくるのだ。

主人公の秋山小兵衛は、彼を春風のごとしと評している。いい表現である。

息子の大治郎が、いぶかる。剣の修行は命のやりとりである、それを春風のごとく剣を扱うというのはいかにというのである。

楽しむというのは、道楽であるというのである。それではいかがなものかということである。武道の専門家である大治郎らしい台詞である。

しかし、おかしいではないか。

楽しんで武道をやってはいけないのか。

道楽で。

学問も道楽でやってはいけないのか。

そう思うからである。



命のやりとりである。確かに武道はそうである。

学問だって命のやりとりなんだろうなぁと思う。なんかになろうとしたら、まさしくそうだろうと思う。成果主義から言ったらそうだろう。大学教授になりたいとか、なんとかになりたいとか。そういう打算が優先するのだったら、苦しいだろうなぁと思うのである。ナンニモならないことに一生懸命になって、それはそれで馬鹿なことかもしれないが、充実していればそれでいいのではないのかねぇって思う。

郷土史の世界で生きていくとか、なんとかとか。師匠は愚生のその気持ちを見ぬいておられる。さすがに、日本を代表される碩学である。かなわない。当たり前であるが。

 




愚生のように、道楽で生きてはならんのかなぁと常日頃から思っている。

道楽で生きるのはけしからんという固定観念からきているような気がするからである。

愚生は逆に思う。固定観念というのはいけない。体験上である。凝りかたまるからである。

凝るというのはよくない。

肩凝りというのもあるからである。道楽は肩が凝らない。道楽はいいものである。それでいいのだ。それで。

 

あまり気ぜわしく生きておりますと、命を縮めますぜ。

 

春風のごとく生きたいものでありますなぁ。

まったく。

 

どうせ生きるなら、悩んで生きるのも一興。春風のように生きるのも一興。愛だの恋だの、離婚だのなんだのと、無明を生きていってはなりませぬ。

時間というものはもっともっと尊いものでありまする。

ホンマに。

 

所詮、ヒトの世の中なんてそんなもんですよ。

 

 

(^_-)-☆

 

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明日は千葉市で能を見る

2012年10月27日 21時33分02秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

明日は千葉市に能を見に行く。

青葉の森公園ホールである。℡で申し込んであるから、後は料金を払えばいいのだが。

楽しみである。

これは道楽で見ているのだから、一人でいく。当たり前である。先週見に行った坂本冬美様は、道楽ではない。あれは、ちょっと行ってみっかという野次馬的根性であったのだ。お祭りを楽しみにしているような気分とでも言ったらいいだろうか。テレビで見ている人だからなぁ。

明日のは、ノートを片手に見る。

根拠になる資料も見てから行く。

ぼ~っとしながらである。

ぼ~っとして見ていると時々はっとなることがある。

そういう時に、中世時代の方々が何を考えていたのだろうかということが、ちょっとだけわかるような気になってくるからこれまた不思議なことである。

怨霊の存在とか信じてはいないが、梅原猛先生の言われるように能は仏教であるという説がほんとうに真実ではないのかとも思われてくるからである。

あるいは縄文時代からの文化的スクリプトが影響しているのかもしれないと思うのである。

 

料金はかなり安い。愚生で500円じゃ。なんかの間違いでは無かろうかと思ったが、もしかして会員だからかな?青葉の森の。ま、そんなことはどうでもいい。どなたか愚生と一緒に見ませんか?

そんなモノ好きいませんよなぁ。普及もまた青葉の森の活動の一つだろうからね。

 

アハハハハ。

 

 

 

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空海の風景

2012年10月27日 21時22分50秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

司馬遼太郎さんの「空海の風景」のノートを取り終えた。

すばらしい作品であった。

これからの愚生の興味対象になる分野であるから、慎重に慎重に読解を重ねている。

周辺研究や、先行論文も大学で入手して、ファイルして読んでいる。

本当は小説から研究対象に入っていくのは邪道であろう。

しかしである。

ある一面の真理をもカバーしているとも思う。

だったら、ばんばんチャレンジしていくことである。そう思っている。

金曜日に、九条家のことについて先行研究を調べなさいと師匠にご指導をいただたので、

今日も一日参考文献を捜していた。難しいものである。

勝手なことを言うんだったら、こりゃダレでもできる。

根拠を明らかにしてそれで仮説を立てていくのは、初学者である愚生のような懶惰なものには難しい。

 

通信教育で空海の高野山にある大学(高野山大学)が学生を募集していることも知った。大学院修士である。ありがたいですね。

これまた興味対象が拡大していくなぁと予想している。

 

これじゃぁ、まったくいったいオレはいつ休んだらいいんだ?

なんちゃってねぇ。

 

(^_-)-☆

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田楽、申楽の史料集

2012年10月27日 21時11分24秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

田楽、申楽の史料集を今日は一日眺めていた。

夕方、塾に行ってきたが。

今日も英語と国語だった。

楽しかった。

国語はともかく英語もである。高校受験レベルだから語彙数は少なくて済む。こっちが一番勉強になる。だからやっているのである。

自分との対話のためになりますねぇ。

まったく、まったく。

こういうことが楽しいのである。

 

最初に戻る。

史料集は、一部分コピーしたものを見ている。年金生活になってから買えないから、いろいろな手段で対応している。しかし、このホンは高い。厚さも尋常ではない。Amazonの古本でも買えない。(*_*) マイッタ

東大寺に伝わる古文書があったので、夢中シテ眺めていた。

それと興福寺。

この二つの寺院は近接している。

だから面白いのである。

夢がある。

推理がある。

古都はだからいいのである。

 

早く12月が来ないかなぁと思っている。

一人、古都の道にたたずむかっこうのいい老人がいるのである。哲学の道なんか歩きながら。

と~まのことではないだろう?って

当たり前である。

そのかっこうのいい老人のワキにいるのが、愚生である。

 

 

呵々大笑!

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10月26日(金)のつぶやき

2012年10月27日 04時12分52秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

好きだからできるのですなぁ。。。。 goo.gl/EqA0p


大学にいる。師匠にご指導をいただいてから、昼食をとって再度隠棲室にいる。師匠から論文を見ていただいて、また新たな発見があった。感謝である。大学には論文書きに毎日来ているのだから、十分もとをとっている。こういう経済用語で考えるのは好きではないのだが、ね。ありがたいかぎりだ。


来週は大学祭である。愚生は午後から別の大学で講義をするから、本学にはこない。さらに、能登半島に旅をすることになっている。もう費用は支払い済みである。楽しみ楽しみ。


12月に京都に行くが、8日に発表だから、その前後に国立奈良博物館で重源の資料を購入してくることを、師匠と話していて、決めた。8月の能楽研究学会で買ってこなかったのが悔やまれる。愚生の駄文にも重源は登場してくるからである。そうした研究機関の資料はなかなかいいものがある。


袖ヶ浦の郷土史博物館でも研究資料を入手して、紀伊と房州との関わりについて、よくわかったことがある。と言うよりも、いかに愚生が無知であるかということがよくわかったのである。いい体験をさせていただいた。だから、なんでも勉強なのである。ありがたいものである。知らないことが多いから。


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薔薇が書けるか

2012年10月26日 08時50分54秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昨日の塾で、英語と国語の面倒を見ていた。

英語はともかく、国語は読解であったから、お手のもんである。中学生といっしょに、漢字のかきとりもしていた。そしてちょっと雑談的に、漢字をどうやって暗記するかということになって、タイトルのようなことにあいなったわけである。

薔薇という漢字は、全体としてみるとなかなか難しい。

ところが、部分部分で分けて考えていくと実に暗記しやすい。この漢字をおぼえるために暗記法のホンを書いて売れている塾関係者までいるのである。愚生もその予備校経営者のホンを買ったのであるが。

ちょっとしたコツがあるのである。

そして、息抜きにそれを愚生と二人でやったのだ。そしたら、たちどころにマスターできた。喜んでいた。中学生が。

塾が終わってから他の生徒に自慢していた。笑ったね。「と~ま君に教わったら、**点も得点がアップした」と言ってくれていた。わはははである。本当にわらっちまった。頼んだわけでもないし、いつまでも塾の講師をやっているわけでもないから、それに週に3時間しかやっていないのだから。どうでもいい話といえば、どうでもいいのだが。

古女房ドノにこの話をしたら、あんたは変わっているねぇとのことだった。年金生活者なのに、大学院なんか行っているし。そんなのダレも頼まないのに。行ったってどうにもならんだろうに。しかも、塾だって週に3時間しかやっていないし。全部道楽でやっているとしかダレも考えないよ、とのことであった。

反論できない。

正解であるからである。

どうにもならんことをするのが、愚生はもともと好きなんであるとしか言いようがない。教員を長いことやってきたのだって、好きだったからである。間違いない。柔道もそうである。まだやっている。今日も柔道のお稽古会である。好きなんだなぁ。

 

薔薇という漢字を覚えるのだって、好きだからである。

 

生きているのも、好きだからである。

(^_-)-☆

 

 

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結局雑学屋

2012年10月26日 08時30分24秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

で、ワンコの散歩から帰ってきて、自分の部屋に入ってベッドのワキに置いてある睡眠導入の書籍を手に取って、ちょっとだけ読み始めた。

ベストセラーになったホンであった。

枕元には二つ灯りがある。それを読み始めたら、眠れないくらいおもしろいではないか。レンタルビデオで一昨日借りたDVD「神との対話」を見て、昨日古本チェーンから買った原作を読み始めたのである。なかなかこれがよかった。宗教宣伝は拙ブログではしないつもりだからこれ以上は書かない。

キリスト教にも興味があるからである。

聖書は、新旧を都合六回通読している。本当である。ノートをとりながらである。今をときめく同志社大学大学院で神学を専攻された評論家の佐藤優せんせに興味を持ったのもその関係からである。

仏教にも興味がある。

インド古代哲学にも興味がある。

ヒンズー教にもある。

最近では古本チェーンからコーランまで買って読んでいる。

むろん全部翻訳でありますが。

 

全部に興味がある。(^0^)

 

 

雑学屋なんだな、結局。

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ワンコが老いた

2012年10月26日 08時12分04秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昨夜、ワンコが鳴くので散歩に行くしかないからと思って散歩に連れ出した。ちょっとだけだが。なんだか時間の案配もわからなくなってきたワンコである。老年である。愚生と一緒である。かわいそうになってきた。散歩だって、ほんとうに100メートルくらいしか行けない。まっすぐ歩けないのだ。ふらふらしている。

ほんとうにかわいそうである。

わが身を見るようである。

しかも昼間徹底して眠って、真夜中近所にご迷惑をかけている。申し訳無いではないか。だからと言って手立てがない。50メートルくらい散歩するとその後は黙って寝た。

トイレの始末も愚生がやっている。ホームセンターに、いろいろワンコのトイレの始末に都合のいい紙とかふくろとか売っているので実にありがたい。朝も晩も愚生が面倒をみている。かわいそうでならないからである。

昔は耳もピンと立っていた。しっぽも見事に丸まっていた。ところが、もうチカラが無いのである。昔はいい男だったのに、今はもう見るかげもない。お世話になっている獣医の女医せんせにも、「まぁ・・・こんなになっちゃって。いい男だったのにね」と言われる。まったく愚生と一緒である。おたがい若い時は、美形だったのだ。(^0^)

仕方の無いときは仕方がないのである。

ソフトバンクのCMに出てくるワンコに似ている。あちらは北海道犬。こっちは紀州犬。荒っぽさにかけてはチャンピオンである。イノシシ狩りに使うくらいの俊敏さを持っている。否、いたんだ。

ああああああああああああああああ

書けば書くほど、自分のことを書いているようである。

 

もう止めよう。

これくらいで。

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10月25日(木)のつぶやき

2012年10月26日 04時16分17秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
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未来永劫ってことは

2012年10月25日 08時36分46秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

浪速高校の木村智彦校長先生のBLOGには常日頃からおおいに興味を持って読ませていただいている。拙ブログから、リンクもさせていただいている。

現役時代から注目させていただいていた校長先生である。

学校改革ということで、ちょっとした論文に書きたいくらいである。

事実、資料は集めてある。

 

ところがである。かの木村智彦先生でも、定年が近いらしい。どうも普段の記事を読ませていただくと、65歳のようである。

いつかの先生の記事で、なんでフルタイムで働かないのだ!という文章があって、オロカナル愚生などは、はっとなったのだ。

朝の散歩とか、植木がどうしたこうしたなんて言っていないで、健康なら働けっていうことだと愚生は解釈した。

 

ほんとうにそれはそうである。愚生もそう思う。健康なら働いていったほうがよろしい。

隠居はしないほうがいい。経済状況が許すならばそれはそれでいいだろうが。

 

NHK大河ドラマ「太平記」で、足利尊氏が出家する場面が出てくる。後醍醐天皇との関係で、尊氏が失望をするのだが、あれはあれでわかるような気がする。しかし、周囲は慌てる。尊氏に出家されたら困るヒトがいくらでも出てくるからである。進軍すればするほど、諸国の武士たちが結集してくる。NHKの台本は、おそらく尊氏が万やむを得ず出兵したという構図を示してくれているが、ちょっと違和感があるにしてもそうだったのだろうなぁとは思う。

尊氏が京都で敗退して、九州に落ちのびた時も実は深慮遠謀があって、全国平定の布陣であったのではないかという論文も一昨日見たが、ふ~んこういう見方もあったのかと思った。「日本の合戦 2」(新人物往来社)である。

 

それでも、尊氏でも終わりはきたのである。室町幕府を作ったということはたいしたものである。しかし、室町幕府も未来永劫であったわけではない。知ってのとおりである。

 

組織も、システムも、命も、勤務年数も未来永劫続くわけではないのである。

そういうことである。

そういうこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/