12月の7,8日と京都のホテルがようやく予約できた。
実はさんざん苦労していたのである。
特に、8日が土曜日で、どこもあいていない。これは焦った。この日は朝から龍谷大学大宮キャンパスにいなくてはならない。京大の教授の講演もある。愚生の学術発表は午後からであるから、なにかあったらしょうもない。準備はしておくにかぎる。
パワーポイントでやってもかまわないと師匠にお聞きしたので、そのつもりである。国文学の学会というのは、そういうのを使わないのかなと、この夏に奈良国立博物館で行われた能楽学会を見て思ったからである。
だったらお手のもんである(^0^)
今日から大学で作り始めましょう。
人前で話すのは非常になれておるから、こっちは心配ない。質問とかいきなりきても、全く動じない。現場でせんせいがたに実によく鍛えていただいたからである。質問と言ってもいろいろあって、意図がある。種類もある。ハハハである。(これは現場の人間しかわからないだろうけど)
質問者の論理構造を分析して、その矛盾をつくとたいていは愚生の相手にならない。本当である。質問というのはある一定の立場を前提としているからである。わからないから質問しているのではないのである。意図があるのである。その隠された意図を速攻で理解しなくてはならないのだ。
だから対話を重ねるとどの程度のアタマの持ち主であるかがよくわかるのである。自称秀才はこのあたりがよくわかっていないから、墓穴を掘ることになる。あくまでも相手に指導してやるという感覚でいるからである。感情的になったらそれでもうおしまい。こっちのもんである。ホントにそうである。
純粋な学問的興味や価値観から対話をさせていただきたいもんである。世間師のような、政治屋的な発想で学会にしゃしゃり出ているのではないからだ。あるいは、成果主義でもない。実績をつくってなにかになろうとしているのでもない。まったくない。もうナニカになろうって言ったって、トシである。トシ。(^0^)/ウフフ
このことを何度言ってもご理解いただけないようである。こっちはフリーであるからだ。
ま、無明を生きることだけは避けたいからねぇ。
まったく、まったく。今更何をかイワンヤであることよ。
7日に、師匠の講義を受けて、午後1時の大学から出る東京行きのバスに乗って、3時くらいの新幹線で行く。
西本願寺の近くのホテルである。会場の龍谷大学にも近い。やれやれである。西本願寺の中央仏教学院で「も」勉強させていただいていたから、このあたりはよ~く知っている。
ホントは夜行バスで行ってみたかったんだけど。
あれって、けっこう楽しいんですぜ。時間もかかるし、なんかホントに
「そうだ、京都へ行こう」っていう気持ちになる。
今回は、古女房ドノに反対されて新幹線にした。
あまりにも快適で、風景も飛ぶように消えて無くなってしまうから、寝ているヒマもないではないかと思う。ビジネスで行くのではない。楽しみで行くのである。こっちは。
学会発表というのも、楽しみでやるようなものですな。
楽しいから還暦老学生をやらせていただいておるのですけど。
(^_-)-☆