「とーま、カムバック」・・・?
起きていることは偶然ではない、すべてなんらかの因果関係で必然的に起きているなんてことを、一昨日あたりから書いている。
然りですなぁ~、然り。
思い当たることがたくさんあるからである。
亡父に反抗ばかりしていたから、亡父の怒りを買って、とうとう大学は自力で行かざるを得なくなったし、その後もまったく誰にも頼らずに、教員社会という「世間」を生きてきた。そうなのである。オレは「自力」で生きてきた人間であって、そもそも「独立独歩」そのものである。「他人に頼る」とか、あるいは「他力本願」とかいう世界とはまるっきり関係のない人間であったのだ。
しかしである。他力によって、とうとう放り出された。定年という怪物にである。でも、オレは待ちに待っていたのだ。定年で放り出されることを。後は自由自在に生きていくからである。ざまぁみろである。今までいくら我慢に我慢を重ねてきたかはかりしれないからである。だからやりたいこと、やりたかったことを生涯学習として勉強しているのだ。中国語、英語、数学、書道、俳句、古文書、郷土史、宗教(仏教、キリスト教)、男の料理、裁縫、介護、恋愛術(?)、大型オートバイによるツーリングとやってきたし、これからも追求していきたい課題である。それから後は、死ぬだけである。わははっはははっははである。
定年で放り出されたことも、まじめに生きてきたという因縁からである。まじめに生きないと、最後まで務められないという職業であるからである。途中でやめさせられるという危機にも陥らなかった。小説のように書けばとてもおもしろい材料はたくさんある。ただし、オレの良心がそれを許さないだけである。世間に生きるということは、墓場まで持っていく、行かざるを得ないことも多々あるのである。それは、秘密を保持しなくてはならない職業であったからである。
しかしである。
墓場まで持って行かなくちゃならないことを、あるいはオノレの写真を平気でさらしているというのはいかがなものであろうか。去年中尊寺に行ったら、芭蕉の石碑の前で寝そべって写真を撮っていた若輩者のおなごがいて、しかもミニスカートであった。とうとうオレは注意したぜよ。つまりわけー衆のことなのである。特におなごたちである。みっともねぇと思う。
そんなことをしてちゃアカンですぜって。そしたらきゃぁ~だって。馬鹿丸出しである。呆れたぜよ。
どうにも理解しがたいことばかりである。インターネットの世界では。わけーおなごが自分の醜態をさらしていたり、それに馬鹿なおとこどもが、「いいね」とかやっているFacebookやTwitterなんか、しょうもねぇじゃんかと思ってしまう。
墓場まで黙って持って行けばいいようなオノレの醜態話をさらしてはアカンのである。
オレ?
オレは十分その辺りは注意して書いている。もっとも、オレの存在そのものが醜態だとおっしゃるのなら、オレのつまらんブログなんぞ見なければいいだけのことである。無視してくだされませ。(^0^)
無視されることには慣れているから。これまでも丁寧に語りあい、友人としてコミュニケートしても、いつか離れていった方々も多いからである。それはそれでオオイニ結構である。もう、とーま君なんか必要で無くなったということなのである。成長されたのである。これからは一人で、あるいは仲間と、恋人と生きていかれるがいいと思っているのだ。
「さよなら」である。
ても、思うにこの「さよなら」って、いいなぁ!実にいい。未練を断ち切れるからである。中国語に「未練」という語はないそうだが、ドライ な人間関係を持っておられる民族はそれでいいのだろう。それはそれでなかなか学ぶ点はあるからである。しかし、この「さよなら」っていう言葉は寂寞と、辛さがあってなかなか日本人らしくていい。未練を拒否しないのもまた日本人らしいのである。それでいいではないか。別れが辛かったら、そのことを嘆いていて何が悪いのだろう か。
だから、「さよなら」と一回いってしまったならば、間違っても「シェーン!カムバック!」とかは云わない方がいい。当たり前である。もう縁は切れてしまったのだから。人間関係というのは、自力ではどうにもならないことがあるからである。
自分だけ、あの人と縁を持ちたいと思っても、ところがどっこいそうはいかないのが、世間相場である。そうなのだ。「切られる人間関係」というのも可能性としては、十分あるからである。
それもまた「予定」されていたことなのである。
今日は教えている方の大学でいろいろやっていた。教授の先生方ともお会いしていた。で、午後からは明日今度は学生をしている方の大学に提出する資料を作っていた。16:56、メールでそれぞれの先生方やclassmateにお送りした。これでやっとフリーになった。
クジラにそっくりな院長先生のいる接骨院にこれからいく。そして、夜は塾でアルバイトである。楽しみにしている。
こんな生活も来年はできない。
教えていただいている方の大学から去らねばならない。
仕方がない。
去るときは、後を振り向かないで去ろう。
振り向いたら、誰もいないだろうから。
間違っても、「とーま!カムバック!」なんて云ってくれる映画「シェーン」の少年のような子役はいないからである。(>_<)ゞ
わはははっははである。