と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

3月4日(土)のつぶやき

2017年03月05日 04時58分09秒 | とーま君の流儀2017
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文化会館でイベントがあるので・・・

2017年03月04日 07時26分09秒 | とーま君の流儀2017



イベントがある。ボキは午前中10時50分から会議がある。審査員だけ午前中から来なさいと言われているからである。イベントで文芸賞の発表があって、最終の会議である。詩人の高橋順子氏が委員長である。審査員は全部で6名。だから欠席したら非常に失礼になる。なるから慎重にやっている。

今日は夕方6時近くまでかかる。催事がたくさんあるのだ。九十九里浜に押し寄せた東日本大震災の復興を一番の目的にしている催事である。大ホールでやるからたくさんの人が来るらしい。

産経新聞の記事によると以下のとおりである。

http://www.sankei.com/region/news/160529/rgn1605290042-n1.html

 

 

>■「勇気と希望」与える作品募集

 東日本大震災により県内最大の津波被害を受けた旭市で、震災を語り継ぐことを目的とした文芸賞「海へ」が創設された。6月5日に作品募集に向けた発表イベントを開き、9月1日から応募を受け付ける。被災者ら市民有志でつくる実行委員会は「この文芸賞から人々に生きる勇気と希望を与える言葉が生まれることを祈っている」と広く応募を呼びかけている。

 震災語り継ぐ

 文芸賞の審査委員長は、地元出身の詩人、高橋順子さん(71)が務める。高橋さんは、震災で14人が死亡、2人が行方不明者となった同市の飯岡地区(旧飯岡町)で生まれ育った。県立匝瑳高校、東大文学部を卒業後、出版社勤務を経て、昭和52年に第1作の詩集「海まで」を出版。詩歌を中心に小説、エッセーなど幅広い文筆活動を続けている。夫は昨年亡くなった直木賞作家の車谷長吉さん。

 高橋さんの実家は海の近くにあり、震災では浸水被害に遭った。犠牲者の中には同級生もいた。震災直後から故郷への思いをつづった詩をまとめ、平成24年に出版した詩集「海へ」は藤村記念歴程賞と三好達治賞を受賞した。

 高橋さんの詩に励まされた地元の人たちが昨年7月に「囲む会」を立ち上げ、高橋さんの講演会や作品展を市内で開催。震災を語り継ぐため文芸賞の創設計画を持ちかけると、高橋さんは審査委員長を引き受けるとともに、タイトルを「海へ」とすることについても快諾した。

 第1回の募集となる今年度は、「海」をテーマにした自由詩、エッセー、定型詩(短歌や俳句、川柳など)の3ジャンルを募集する。被災体験の有無にかかわらず、海がもらたす災いや恵みを含めた広い捉え方で構わないという。小学生以下から一般まで3部門を設け、グループでの応募も歓迎。作品には挿絵や写真、音楽、ビデオなどを添付することも可能で、総合的な芸術表現として審査する。

 募集にあたり、実行委では作品に独自の3つの条件を定めた。「津波を語り継ぐこと」「原稿は直筆であること」「審査会場で作品を朗読すること」。直筆と朗読にこだわったのは、高橋さんの詩集にある「花は 真っ赤になって 言葉を吐き出そうとしている」のくだりに共感したからだ。

 実行委の渡辺昌子会長(69)は「物言わぬ草木でも言葉にしようと花を咲かせている。言葉を心の奥にしまっておいては、誰からも見えない」と、思いを自ら文字にして、声に出すことの意義を訴える。そして、「優れた作品を集めるための賞ではなく、できるだけ多くの人に参加していただくことが最大の目的」とも話す。

 来月5日イベント

 募集期間は9月1日(防災の日)から11月5日(津波防災の日)とした。これに先立ち、募集要項などを発表するイベントが6月5日午後1時から市飯岡保健福祉センター(同市横根)で開催される。当日は高橋さんが講演し、文芸賞への期待と思いを語る。

 さらに会場では、4月に発生した熊本地震の被災地支援のためチャリティーライブも開く。熊本県荒尾市出身のシンガーソングライター、関島秀樹さんが歌い、募金を呼びかける。

 渡辺さんは「5年前の震災で、たくさんの人に助けていただいたことに感謝している。同じ被災地として、熊本の皆さんに支援の気持ちを届けたい」と話している。

 

 

そんなわけで、これから出かけてくる。

またお会いしましょう。

(^^)/~~~!


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3月3日(金)のつぶやき

2017年03月04日 04時54分18秒 | とーま君の流儀2017
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願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月のころ・・・・トホホ

2017年03月03日 08時30分03秒 | とーま君の流儀2017

ボチボチとボキの墓地を捜していたら、なんと桜の樹の下に候補地があったのだ。嬉しかったねぇ。まだまだ死にたくねぇけど。

 

 

宝生流謡曲 西行桜というのがある。あらすじは、以下のとおりである。

 

京都、西行の庵室。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。しかし今年、西行は思うところがあって、花見を禁止した。 一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやってきた。桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。西行は、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休らう。その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。「桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。老桜の精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精もきえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。

         社団法人日本能楽協会による             

 

山家集で有名な西行である。

山家集というと、ボキは実に苦い思い出があるのだ。一番最初に在学した大学学部時代に二年連続で山家集の単位を落としてしまったのである。マジに苦い思い出であった。歌人の教授で、大学の大先輩であったからなおのこと情けなかったのだ。

もっとも、ボキは学部時代に苦学していたから、和歌を学ぶ必然性を感じていなかったのだ。和歌なんか、このオレの苦境になんの役に立つことがあろうかと思っていた。ひたすらドストエフスキーとか読んでいた。暗かった。現実にうちひしがれていた。絶望しかなかった。だから、和歌のように気楽に生きていられる高貴な身分の方々が許せなかったのである。

しかし、今はそんな程度の理解しかナカッタ自分を恥じている。白洲正子女史の著書でも西行を扱っていたが、西行もまた暗い時代を背負って生きていたのだ。時代の変遷に流されていたのである。ダンダンとわかってきたのであるが、そんなことは。まだ18歳くらいの少年には無理だった。理解しようとしても、受け入れるだけの許容量がなかった。その日暮らしで、精一杯であったのだ。

西行は、こんなくだらないブログで一気に書ける程度の人物ではナイ。ましてや、ボキごとき超劣等生が書いてはいけない。でも、感想なら書けるのだ。そんな程度である。

結局、西行は僧侶という範疇に属していなかったとボキは思っている。

欲望を捨てようとしたのでもない。人格高邁で、ボキのような一般大衆を救済しようとされたのでもない。ひたすらもの狂いに生きたのではないのかと思う。数寄者としての一生涯ではなかったのか。

桜を追い彷徨した姿は、まさに人生の実相を物語る。欲望を捨てようとしたのではなく、むしろ大欲を持っておられたのである。大欲というのは美の追究であり、歌道の完成であったのであろう。

ちなみに和歌の修辞法というのは実に難しい。大学受験で、塾の生徒に教えることがある。非常に苦心している。教える方が困難なのである。申し訳ないと思いつつ、毎日ボキも勉強している。昨日も、塾で和歌の修辞法の参考書を持参していってチラチラ見ていたのだが。

否、今日はそんなことを書くつもりで打鍵しているのではない。

冒頭に書いたように、とうとうボキが入りたい墓地を見つけたからである。

なんと「桜の樹の下」にあったのだ。その墓地が。数本あるのだ。桜が。

一度で気に入った。

これで愚かなボキは、西行の真似をして死ねるのだよん。バカですなぁ。どこまで数寄者であることか。と言っても、偽モンだけど(^_^)。

 

今日は天気がいい。さすがに九十九里浜である。あったかい。風はちと強いが。

床屋でも行くか。明日、県立の文化会館でイベントがあるので。ボキ、そのイベントに出席しなくてはならない。審査員をやってきたから。久しぶりにスーツも着る。似合うだろうなぁ。まだ桜は咲いていないけど。あ、それだと死ななくちゃならないから、しぶとく生きているつもりじゃが。

 

わははっっははっっははっはははは。

 

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3月2日(木)のつぶやき

2017年03月03日 04時55分21秒 | とーま君の流儀2017
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霊峰というものは、憧れているからいいものであって、登山しちゃいけない

2017年03月02日 09時51分45秒 | とーま君の流儀2017

                                      (カイラス山)

霊峰というのは、遠きにありて思うものですなぁ~~~~~~~

 

 

 

霊峰というのにふさわしい山というのは、どれだろうか。登山は遠足程度ならやったことはあるが、本格的なのは経験したことがない。だからやたらとは書けないのであるが、それでも東北の片田舎に育ったボキとしては非常に関心がある。

富士山か。・・・富士も太宰治ではないが、なかなかである。例の「富嶽百景」である。太宰治の生きる意欲が伝わってくる。立ち直りの時期でもあるからだ。とりわけ、井伏鱒二氏との交流がいい。富士をバックに写真を撮って、ぱちりとやる。記念撮影なんだけど、富士だけが写っているという洒落はなかなかである。

でもちょっと違うなぁと思う。

富士は美しいけれども、ボキのようなバカにはちょっと違うのである。

なぜか。

それはあまりにも裾野が穏やかであるからだ。ゆったりとしている。それに下界の賑やかさがハンパではない。夜なんか御殿場あたりの夜景がニギニギしい。あまりにも大きな器である。世間のくだらないしがらみで生きているボキのようなアホな人間どもを包み込んでくださっている。

だから、イヤなのかもしれない。

やはり単独峰であるけれども、屹立して欲しいと思うのである。峻厳さが欲しい。単独峰であって、登山客を否むだけのものがあって欲しい。

富士は九十九里浜からも見える。見えたときは素直に嬉しい。つまり、遠くにあって見るものが富士である。ボキにとっては。あまり近くから見ると、いけない。しかも実際に登山して、富士の山を歩いてしまうとちょっといただけない。火山だから道がごろごろとした岩石でいっぱいである。これがゲンナリしてしまう最大の原因である。ま、ボキだけがそう感じているだけの話ではあるが。

霊峰と言われる山に行ってみたい。なかなか経験していない。

今まででは、マッターホルンが霊峰らしいと思った。Switzerlandに退職してから行ってみた。この山も観光地のど真ん中にある。俗世間のまっただ中にある。しかし、富士ほどの優しさはない。裾野がない。屹立している。で~~~んと一本のどでかい単独峰のように見える。それが朝の太陽を受けて光っていたのである。すぐ麓のホテルに泊まっていたのである。朝、目が覚めたらびっくりしたっけ。まさにご来光であったからである。

むろんマッターホルンに登山できるほどの体力・気力・技術もないから麓から崇めていただけである。

それでもすげぇなぁと思っていた。この世のモノとは思えないほどの迫力であった。

ぶるぶる震えてしまった。なんだか、得体の知れないものがボキを突き上げてきたのである。一瞬風邪をひいたのかと思った。違っていた。

ボキが死んでもこの山は残っているんだろうし、生きて見ることができただけでも感謝しなくてはならないと思った。

チベットにもあるそうだ。霊峰が。確かにありそうである。なかなかそこまで行くことが困難ではあるが。

カイラス山である。

Wikiによると以下のとおりである。

>カイラス山(Kailash / Kailas)、または カン・リンポチェ(チベット語: གངས་རིན་པོ་ཆེ་、中国語: 岡仁波齐峰)はチベット高原西部(ンガリ)に位置する独立峰。サンスクリット名はカイラーサ(कैलास Kailāsa)。カイラーサの語源は不明だが、サンスクリットで水晶を意味するケーラーサ(केलास)と関係があるかもしれない。この名称が英語等へ伝わった Kailash / Kailas が、日本語における名称「カイラス」の直接の由来である。標高6656mの未踏峰。信仰の山である為、登頂許可は下りない。ただし聖者ミラレパ(1040年 - 1123年 / 1052年 - 1135年)が山頂に達したという伝説が有る[1]。

 

行ってみたい。

行ってみたいが困難である。

困難であればなおさらのこと行って見たい。

行っても、登山は許可されていないけど。

 

(^^)/~~~

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3月1日(水)のつぶやき

2017年03月02日 04時58分50秒 | とーま君の流儀2017
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死とか病気のことはやはりタブーなのである。愛でも語りあっていた方が気楽なのじゃなぁと思う。

2017年03月01日 08時24分25秒 | とーま君の流儀2017

「マコ甘えてばかりでゴメンね、ミコはとってもシアワセなの・・」の歌で有名な「愛と死を見つめて」という映画が、昔あった。ボキの場合は終活だから・・トホホ

 

 

朝起きて、血圧をはかる。それから体重をはかる。毎日である。このワンパターンを崩したことはまったくない。

これもまた二年前にエコノミークラス症候群になってICUに入ってからの習慣である。おかげで健康にはかなり関心が出てきた。数値的にも安定している。糖尿病の薬もドクターが「もう飲まなくてもいい」とおっしゃったし。

以来、健康にはかなりの興味関心がある。あるから改善してきたのである。ただし、これを若いころからやっていればこんな状態までオノレを追い込むこともなかったのだろうなぁと慚愧の思いでいるが。

もう遅いケド。

だからボキは(_ _ )/ハンセイしているのだ。

しかし、この健康状態が永久に続くわけはない。いつかはジ・エンドがくる。死を迎えた時である。もうそれで身体は終了してしまう。

葬儀があるだろうと思う。その時に、犬に食われるか、鳥に食われるか、水葬になるか、Indiaのように火葬の後にガンジスに流されるか・・・まったくわからない。チベットでも、鳥葬がある。高い山の頂まで連れていって、内臓と脳みそをえぐり取ってさらに死体を部分分けする。なぜか。ワシが食べやすいようにするのだそうである。あるいは、魚に喰わせるところもある。海や川に沈めてしまう。そして骨だけになってしまう。親鸞にもそのような記述がある。こういう話を書物で読んで慄然としたことがあった。むろん、死んだ本人はそういうことを確認することはできない。

生き返ることはできないからなぁと思う。

死のことは現代人が忌み嫌い、もっとも避けている話題である。オノレが死んじゃうことなんか、全く考えていない。古来、日本人は死をケガレと称して忌み嫌ってきた。古事記や日本書紀にも書いてある。そういうのが、伝統なのである。あるいは我々日本人にしみついた潜在意識である。

つまり死のことは話題にしてはいけないのだ。避けているから。避けていても、100%死んじゃうのにねぇ。

ボキが、エコノミークラス症候群になったときに、ある先輩にちょっと死にかけまして・・・と正直に報告したら、なんと「若ぇのになにをやっているんじゃ!」と叱責されたっけ。二年前である。

は?と思った。確かに先輩よりは若いけど、病気になって、復活したのは事実だからである。ボキは、回復したのが嬉しくて先輩に報告したのだが・・トホホ。

ま、ボキに対する激励だと解釈すればいいのだが、死とか病気のことはやはりタブーなのである。考えてみれば、先輩の方が年長である。ボキよりも死の問題はもっと深刻であった筈である。

だから叱責されたのだ。

ボキは、死の問題から逃げることはしないつもりである。これから終活段階に入る。事実、ボキが入る墓地も見つけている最中である。宗派の勉強も始めた。その寺院の。本山にも行ってみたいし、宗祖が学んだ中国にも行ってみたい。マジである。マジ。

そうなのである。それまで、ボキはこのブログでプチ修行をさせてもらうのである。いかんせん悪業三昧の人生を送ってきたのだから。

少しは(_ _ )/ハンセイしないとねぇ~~~~~。

 


これから古文書講座に行ってくる。古今和歌集を教わってくる。虚しいわるあがきかもしれないけど、他にやることもないしねぇ。

(^^)/~~~

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2月28日(火)のつぶやき

2017年03月01日 04時55分29秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/