と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

3月10日(金)のつぶやき

2017年03月11日 04時54分30秒 | とーま君の流儀2017
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ふと宮沢賢治でも読んでみたくなって、結局youtubeで朗読を聞いていた。夜更かしをしてしまったよん。

2017年03月10日 09時34分42秒 | とーま君の流儀2017

あらゆる選択肢でもって、オノレで勉強させていただくしかない。どうせヒマである。時間もかなりある。ありすぎて困っているくらいである。バカはバカなりに生きていくしかないようである(^_^)。

 

 

Youtubeで宮沢賢治の作品を聞いていた。理由は別にない。強いて言えば、青木新門先生の本『転生回廊 ‐聖地カイラス巡礼』(北日本新聞社)を昨日は読んでいたからである。昨日の午後であった。この本に何度も出てきたからである。だったら久しぶりに宮沢賢治でも読んでみようかと思ったのだが、結局youtubeになってしまった。

昨日の塾のアルバイトから帰ってからである。朗読をアップしてくださる方々が世間にはたくさんいたからである。感謝である。しかし、夜更かしをしてしまった。だから眠い。今朝は、いつもどおりNHKのラジオ講座を聞くために早起きしたからである。

しかし、じっとして聞いているとなかなかである。何がなかなかだというと、聞いていると生きる意欲が出てくるから不思議である。

こういうのが宮沢賢治の作品群の特徴なのであろう。宗教色も強いし。ま、あまりこういうことを書くと叱られてしまうけど。宮沢賢治ファンに。

最初、Kindleに入っている彼の全集でも読んでみようかと思った。でも考え直した。待てよ、映像と音声でも味わえるのかもしれないと思い出したからである。

そう思ったのは、先週旭いいおか文芸賞のイベントがあって、それにボランティアで審査員として参加させていただいたからである。応募者が朗読で自分の作品を発表したからである。昨日のNHKのおはようニッポンでも、朝7時45分から紹介されたけど。当然ボキは録画した。NPOから連絡メールが入ったからである。ボキのハゲアタマも写っていたが(^_^)。

いや、話題はボキのハゲアタマではない。朗読である。あのNPOには朗読の専門家もいて、発表会がいろいろあったからである。本格的な朗読の専門家の手にかかると文学作品は生まれかわる。そういう体験をしてきたからである。

宮沢賢治の作品群も、妹のとしの死を扱った永訣の朝はちょっと毛色が違っているが。あれは哀しい。実にかわいそうでならない。高校の現代国語で初めて教えていただいてから、注目ししていた。優秀な先生で、東北大学の国文を出た先生でもあった。

しかし、他の作品群は楽しい。宇宙の根源を扱ったものもあるからである。暗闇と光を巧みに扱って、独特の世界を構築している。これがたまらないのである。ま、このことについてはまたの機会に書いてみたいが。

それに、彼の作品には夢がある。いろいろな登場人物や動物が出てくるけど、それが純粋に楽しい。あまりあれこれ考えてしまうのは、余計なことである。研究しているのではないからだ。

昔、宮沢賢治を授業でどうやって教えるかということを勉強させていただいたことがあった。碩学にいろいろと教えてもらっていたが、若いときに読んでいた宮沢賢治と退職してからの宮沢賢治とは違う。

それは今度こそ、こっちが死んじゃうという厳然たる事実である。受け止め方が違ってきている。

宗教もである。真剣度がである。なにしろこっちは、いつあの世に行くかまったくわからない。もっとも、誰でも100%死んじゃうのである。だから、明日かもしれないし、100年後かもしれない。そんなことは誰もわからん。

だから宗派に拘っているヒマもない。あらゆる選択肢でもって、オノレで勉強させていただくしかない。どうせヒマである。時間もかなりある。ありすぎて困っているくらいである。

それでもバカはバカなりに生きていくしかないようである。

 

わははっはははっはっっはははっはははっは。

 

(^^)/~~~

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3月9日(木)のつぶやき

2017年03月10日 04時52分15秒 | とーま君の流儀2017
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大聖は、人知れずボキの町内にも住んでおられた・・・・

2017年03月09日 07時15分31秒 | とーま君の流儀2017

小聖は山にこもり、大聖は街中に潜むということをしみじみ思ってしまったよ。感謝である。感謝。

 

 

町内の役員(評議員)をさせていただいているのだが、組長と一緒にいろいろとやってきた。特に今年度は町内で亡くなる人がいて、3人の方が亡くなった。そして、この3月の6日にもうお一人亡くなった。4人目である。ご多分にもれず、高齢者が多い町内である。ボキの町内も。

もっとも、町内の役員と言ってもボキは町内の事情に疎い。疎いから、あまり役に立っているとは言いがたい。かえってご迷惑をおかけしているという実感の方がまさっているけど。

神社の世話とか、祭の準備とかそういう仕事ならできた。できたから、やってきた。あまりアタマを使わなくてもいい仕事限定ならである。朝早く起きて、神社まで行って(徒歩)、祭りに来られる方に火をおこして暖を取ってもらうとかの準備程度である。そんな程度である。

しかし、昨日はびっくりした。ある方が亡くなったのであるが、そういう方が町内に住んでおられることを知らなかったのである。役員失格ですな。まったく。

そのお方は、某県立高校の先生であったのだそうな。それも知らなかった。数学の先生で、退職されてから千葉大学大学院、東大大学院と学ばれたという。しかし、九十九里浜からどうやって通学されたのであろうか。そう思った。タブン、東大から近いところに単身で住んでおられたのであろう。だったらできる。

この先生は、ボキよりもずいぶん年長である。そんなことをやっておられたということについては、まったく知らなかった。大聖は、人知れずボキの町内にも住んでおられたのである。

その先生のFacebookもTwitterも残っていたから、さっそく調べてみた。生涯学習の泰斗である。大学学部は、東大とは縁もゆかりもなかったが、それだけの意欲をお持ちであったということをボキは学ばなければならない。

基本的には学歴ロンダリングというのは、ボキは否定的である。理由は書かない。そういう方々がたくさんおられるのは、愚かなボキでも知っているからである。それにしても凄いことである。生前、直接お会いしてご指導をいただければよかったと思っている。もう遅いけど。

だからエラそうにふんぞり返っていてはならないのである。

どんな方が近所に住んでいるかわからないからである。オノレ一人がエライのではない。

小聖は山にこもり、大聖は街中に潜む・・・これである、これ。オノレ一人の悟りを求める小聖は山にこもり、黙々と修行をかさねる。自らが悟ることで世界に貢献する。我を捨て世の中の人々の幸せを求める大聖は、街中で目立たず人知れずに人々の幸せに貢献する。本物も偽物もない。ごくごく普通の生活の中で光を投げかける。それも自然に。徳ある人は、謙虚である。舞い上がっていない。舞い上がった発言もなされない。

うううううううううむ。

ボキはどっちもできそうもない。

せいぜい、プチ修行とかデタラメを言って、書籍を読んで一人悦に入っているしかない。そもそもがマルデダメオですからなぁ。

中村元先生の仏教書をこのところ読んでいるが、そういうあまり役にも立たないことをやっていくしかない。大聖も小聖もボキにはご縁が無さそうだから。

 

(^^)/~~~

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3月8日(水)のつぶやき

2017年03月09日 04時51分08秒 | とーま君の流儀2017
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流れをストップさせてしまった川は、No Thank youですねぇ・・・くさってしまうから。

2017年03月08日 08時44分45秒 | とーま君の流儀2017

現在の地位や名誉、世間体なんかにとらわれていると、よどんでしまいますなぁ。流れることが、ボキの使命でござんすよ。

 

 

よどむことはよくない。よどむと、滞る。滞ると、水も腐る。腐った水は使命を終える。だから、常時水は流れないとアカン。

プチ修行をしている自称世捨て人のボキには、真剣な課題でもある。よどんでいたらいけない。血液も腐る。血管もダメになる。じっとしていたら、エコノミークラス症候群になってICUに入ってしまう。

だいいち、血液がよどんでしまったらそれは死を意味する。

昨日で老人大学を卒業してしまったから、またまた新たなる流れを作ろうと思っている。それが悪業三昧で過ごしてきたボキの課題でもある。生涯学習ごっこというのは、なにも狭い専門領域に閉じこもることではないし、興味関心のおもむくままに行動していればいいだけである。成果も要求されないし、なにかになるためにやっているわけではないからである。

そこのあたりを勘違いすると悲惨である。

だから仙人のごとく生きるべきである。自称世捨て人というのは仙人になるための準備段階かもしれない。もっとも、ボキは久米の仙人みたいに美女の脚を見て、飛行している天から落っこちるんだろうけど(^_^)。おっと、そんなことを言ったら久米の仙人に怒られるかな?

わはっははははっははは。

でもねぇ、久米の仙人様は大切なことを教えてくださる。それは仙人という狭い専門分野に閉じこもらなかったということをである。仙人稼業を辞めてしまったのである。天から落ちた原因となった美女の夫になってしまたのだから。

こういう生き方もすばらしいもんである。

よどんでいないからである。現在の地位や名誉、世間体なんかにとらわれていないではないか。

ボキもそうありたいもんである。あ、ボキには地位も名誉もないか。ついでに言えばカミの毛もない(^_^)。

なんにも持っていないから、生涯学習ごっこと自称して好き勝手に生きていられるんですなぁ。とらわれるものなし。とらえてくるものもなし。なんにもなし。

ついでに言えば、欲しいものもなし。若かりし時は、もうちょとカミの毛が欲しいと思ったことはあったが、もういいや。要らない。欲しいと思っても、ハゲはハゲ。治るわけもなし。

欲しいクルマもないし、大型バイクも要らない。スーパーカブの110というのが欲しいと思ったことはあったが、これまた痩せてからは寒くてかなわん。バイクに乗るとむき出しだから、耐えられなくなってしまったのだ。アメリカンバイクで東北にツーリングに行ったことなんか信じられないっすよん。

若さで勝負するようなことにはチャレンジしないことである。

しかし、よどんだ川になっちゃいけない。それだけは肝に銘じていく。これからである。これからの爺生活を送っていく上で。

 

今日は天気晴朗。

老人大学まで卒業証書をもらいに行く。昨日欠席したので、学園から郵送されてきたんじゃ申し訳ないではないか。郵送料をかけてまで送ってくださったんでは。

せめてそれくらいはしないと、バカジジイのボキの立つ瀬がないというもんである。

あ、その前に4000歩くらい歩いてくるけど。

よどみたくないんで。

 

(^^)/~~~!

 

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3月7日(火)のつぶやき

2017年03月08日 04時51分21秒 | とーま君の流儀2017
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I Was Young - 爺-POP from 高知家 ALL STARS (G-POP from Kochi-Ke ALL STARS)

2017年03月07日 22時19分26秒 | とーま君の流儀2017
楽しい、愉快な爺ーPOP・・・・・!
わははははっははははっっはははっは。
これもまた修行でございますよん。 




2017/02/23 に公開

I Was Young - 爺-POP from 高知家 ALL STARS
I Was Young - G-POP from Kochi-Ke ALL STARS

平均年齢68.2歳。ふだんはタダのおじいちゃん。
高齢化問題をポジティブに笑い飛ばし、高知県から世界を目指す高齢アイドル、
それが「爺-POP from 高知家 ALL STARS」!
大反響を巻き起こしたデビュー作「高齢バンザイ!」に続いて、1年ぶりに新曲をリリース!
その名は「I Was Young」

“G-POP from Kochi-Ke ALL STARS” is elderly pop idol in Japan.
Average age: 68.2 years old. They are just aged people at ordinary times.
They transform into pop star to cheer up all over the world from Kochi pref. Japan.
Now another new song was born since the last song “Korei Banzai ! (Long live ! aged person)” was released last February.
That is, “I Was Young”

・爺POP 特設サイト
http://www.kochike.pref.kochi.lg.jp/~...

・爺POP 第一弾「高齢バンザイ!」
https://www.youtube.com/watch?v=mxc8O...

・高知家公式サイト
http://www.kochike.pref.kochi.lg.jp/~...

人生は、ファンタス爺ック。
Life is Fantas爺c.

*爺 means “an old man” in Japanese.

 

 

 

 

I Was Young - 爺-POP from 高知家 ALL STARS (G-POP from Kochi-Ke ALL STARS)

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【公式】爺-POP from 高知家 ALL STARS 「高齢バンザイ!」

2017年03月07日 22時16分16秒 | とーま君の流儀2017
愉快なり!実に愉快なり!
楽しくて
元気なジー様でありたいもんですなぁ~~~~。



2016/02/25 に公開

高知家ポジティブパワーを全国に!
「NIPPON POSITIVE PROJECT」始動!

第1弾「爺-POP from 高知家ALL STARS」高齢バンザイ!PV

■踊ってみた募集中の爺-POP特設サイトはこちら↓↓
https://www.kochike.pref.kochi.lg.jp/...

■プロモーションビデオ撮影の裏側はこちらで見れます。
http://liginc.co.jp/241360

■高知家
https://www.kochike.pref.kochi.lg.jp/...

■「高知家」発表MOVIE
https://www.youtube.com/watch?v=X3atL...

■高知家の唄-ちゃぶ台と家族写真-
https://www.youtube.com/watch?v=kJwrn...

 

 

【公式】爺-POP from 高知家 ALL STARS 「高齢バンザイ!」

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老人大学ありがとう・・・今日卒業式だけど

2017年03月07日 07時34分40秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ずいぶんと、いろいろな学びの場を経験してきたなぁ。なんでも中途半端だったが(^_^)

 

 

ホントウは老人大学の後には終活準備カテゴリーにしたいと思っているのだが、これではあまりにも後ろ向きである。だから、プチ修行日記みたいなものにしている。なぜプチにしているかというと、本格的ではナイからである。

あたりまえである。本格修行はとてもないじゃできるわけもない。悪業三昧のこれまでであったし。エラそうに他人に説教たれることなんかできるわけもない。そんなことしたら天に笑われる。

正座もできない。エコノミークラス症候群になって、下肢に不安があるからだ。これでは修行不可能。

だから自分なりにやっていくしかない。まさに自分勝手生涯学習ごっこである。

実は、今日は二年間お世話になった老人大学の卒業式である。千葉市にある千葉県文化会館で行われる。

ずいぶんお世話になってしまった。二年も通学した。卒業式には欠席するけど。卒業証書は、明日取りにいく。

二年間かけて、某大学大学院を中退せざるを得なくなったその精神的リハビリをやっていたようなものである。知識の習得のために老人大学に通っていたのではない。弁当を持って、毎週一回友達を作りに行っていたようなものである。

いろいろな経歴の方がいた。だから楽しかったのである。今まで仕事中心できたから、狭い世界で自己満足していた。しかし、世間は広かった。皆さん経験値が違う。そういう方々と雑談をしていて、学ぶことがたくさんあった。これが一番の収穫であった。

生涯学習のメッカでもある。老人大学というのは。

そのことがよくわかった。

卒業したら再入学する方々もたくさんいる。ボキは再入学を見送った。いつかまた再入学することがあるかもしれないが、今度は別のチャレンジをするつもりである。終活の準備学習である。マジに。

墓地も買った。そしてその寺院について学ぶつもりである。5月に本山にも行ってくる。桜の樹の下にある墓地である。西行みたいに桜の花爛漫と咲き誇る時期にあっというまに死にたいものである。

つまり、美しく死にたいのである。ICUで種々雑多な管につながれて、まるでロボットのようにくたばりたくはないのである。エコノミークラス症候群になってICUにいたから、真剣なのだ。ボキは。

老残とは言うが、なにも老いることは汚いものなのではない。死ぬことは、絶体的事実である。相対的な事実ではない。誰かと比較して、どうのこうのという話ではナイ。死ぬときは、オノレ一人である。それに誰でも死ぬ。絶体に100%死ぬ。それからは逃れられないのである。

このことに気がついたのは、高校生のときであった。十代後半に、人間は誰しも死んじゃうのだと思っていたら受験勉強どころではなかった。それから、ずっとボキはそのことだけを考えてきたような気がする。

事実そうだったなぁと思う。苦学してまで追求したかったテーマであった。だから哲学系の強い大学文学部に新聞店から通ったのである。苦しかったけど、通っていて良かった。まだまだ中途半端であるけれども、中途半端だからこそ生涯学習がスタートしたのである。

以降、中央仏教学院や放送大学、通信教育で大学院修士、中退したけど某大学大学院博士課程とやってきたのである。で、今回卒業できた老人大学である。まだまだ満足していない。これからもいろんな学びの場を見つけては、なにかにチャレンジしていくつもりである。それがなにになるかは、ボキにもわからないけど。

死ぬまでやっていく。

それがボキの目標である。

ボケたくないので。

 

わはははっははははっははははは。

 

(^^)/~~~

 

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3月6日(月)のつぶやき

2017年03月07日 04時51分10秒 | とーま君の流儀2017
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老いてますます楽しくという観点がナカッタ三島由紀夫。老いることはみっともなくて、臭くて、老残であるということであったのかねぇ。

2017年03月06日 08時39分02秒 | とーま君の流儀2017

My life is upside down

 

 

あっしの人生さかさまですってぇのが、この短文の意味らしい。Lifeのところには、worldも入るし、headも入るし・・・トホホである。世界もさかさま、アタマもさかさまということである。自他共にそれは認めざるを得ない。さかさまの人生を送ってきたからのぉ~~~と思うしかない。

でも、さかさまという以上「さかさまではない状態」というのがあったはずである。それはなんと呼ぶのだろうか。正常?

だったらなにが正常で、なにがそうではないのかということを考えてしまった。

ジジイやババアになると、どーも世間から浮きあがってしまっている方が少なからずいる。説教ばっかりしている御仁とか。文句ばっかり言っている御仁もいる。さらに、自分の年齢がおめぇなんかよりも、ずっと上だとか。

これってさもしい根性である。年齢しか自慢できるもんがないのかねぇとかわいそうになってしまう。

ボキなんか、年をとっていても中身がないから、なんにも他人に自慢できるもんがないのじゃ。年が若くても、能力や人格に優れている方々が世間にはたくさんおられるからである。すぐれた若い方に、オレはオメェなんかより年だけはとっているのだぜ!と力説していたらアホである。軽蔑されてオシマイである。だから、ジジイやババアになったら気をつけた方がよろしい。

もっといる。ブログで高齢者のつぶやきとかやる方である。もっともらしいご高説をのたもうて、訓戒を垂れている。それはそれで同年代がなにを考えているかという参考になるから、時々は見ている。しかし、説教調が鼻につく。経験は大事である。だからと言って、説教はよくないとボキは思うのだが。

年をくっているからなんだというのであろうか。尊敬せよというのだろうか。せせら笑われていることがわかんねぇのかね。そりゃ、それなりに年齢を重ねてきた方には、宝石のような至言もある。ボキは、素直に聞くべき耳だけは持っている。儒教国家ではないが、それくらいの常識は持っているつもりである。

そもそも儒教国家というのは、あやしい。国家の運営に儒教を持ってくるというのは、宗教を国家運営の柱にしている世界のいくつかの国の危険性を思えば納得である。日本にもいた。宗祖でそういうことをのたもうた方が。これ以上は書かない。書くと危険であるから。

価値観が異なってしまっている。その点でボキは他人のことをあれこれ言うことができないのである。だったら黙っていればぁと言われるかもしれない。

いいんだ、いいんだ。

どうせヒマだから、惚け防止のために打鍵しているだけである。生涯学習ごっこと一緒である。いつまでも、元気でいたいからである。

元気でいたいから、という最終目標があるからだ。

これが逆さまであったら、アカン。

市ヶ谷の自衛隊で、檄を飛ばして割腹自殺した三島由紀夫は、老いることは老醜を晒すことだとしていた。彼の作品中には、そういう表現がたくさんある。だからこそのボディビルであったのだろう。鍛えていたからである。

三島由紀夫には、老いてますます楽しくという観点がナカッタに違いない。老いることはみっともなくて、臭くて、老残であるということであったのだろう。

だったら自殺するしかないではないか。美しいのは若い時だけというんでは。

美しい老年というのもあるかもしれないではないか。

ボキは、そういうのを追求していきたいと思っているのじゃ。マジに。

さかさまに考えているのかもしれないけど。

どうせ一生である。

生きても死んでも一生である。

焦ることはないのである。

ゆったり生きましょうぜ。

 

(^^)/~~~

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3月5日(日)のつぶやき

2017年03月06日 04時54分04秒 | とーま君の流儀2017
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図書館から帰ろうっと、そろそろ。

2017年03月05日 11時16分10秒 | とーま君の流儀2017

11:27 

図書館にいる。

それにしてもやることがないなぁ~~~~~。

コンピュータ席でなにをやっていたかというと、古代王権と房総の歴史というテーマで読書していた。それと打鍵。そうなのである。読んだ本は、打鍵しておくにかぎるからである。後で役立つからだ。

それと、郷土史の会で出している研究誌の打鍵もやっていた。碩学たちから届いた玉稿(手書き)をワープロ化していたのである。終わったけど、今。

今週の土曜日に今度は千葉市市民会館で研究誌の編集会議がある。それまでに間に合わせないとアカン。ダッシュである。ダッシュ。

当日は、午後から文化講座と古文書講座がある。ボキは受付であるが、実はタノシミにしているのじゃ。

教えることは滅多にないが、生徒として教えていただくということが嬉しいのである。まだまだ不勉強だなぁと思い知らされるからである。こんなことを一生涯させていただけるだけでも、ボキはシアワセである。マジにそう思う。

世間体にとらわれていないしねぇ、ボキは。

一丁前になったとはとてもとても言えねぇし。

相変わらずハン惚けのバカジジイである。さらに悪業三昧と来ている。他人に自慢できるものなんかなんもない。あるわけない。

わはははっはははっははっははは。

打鍵が終わったから、ちょっと早いが家に帰る。

歩いてである。

午前中には5000歩(Metsで)いくだろう。

これでよし、これで。

午後からは墓地を見てくる。息子と。ボキが買うのだが、息子も入る予定であるから(^0^)。

 

さ、これにて退散します。

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文化会館で完全ボランティアを経験させていただいた。ありがたいものである。

2017年03月05日 08時42分04秒 | とーま君の流儀2017

朝の10時から、夜の9時まで手弁当でまったくもの好きでありまする。


 

久しぶりに完全ボランティアをやらせていただいた。ありがたいものである。昨日の文化会館で行われたイベントで、審査員をさせていただいたからである。ボランティアである。

朝の10時から夜7時までかかった。かたづけが終わってから、夜8時にご苦労様会。それも会費制だから、カネ払ってこういう会をやって、楽しかったと言っているわけである。どうせ自腹だから、ボキは日本酒をちょっとだけ呑んじゃった。後が怖いけど。いろいろな意味で。

これが完全ボランティアということである。楽しいものである。報酬がまったくないということでないと、ボランティアというものは成立しない。だから楽しいのである。

アルバイトとは違う。

しかし、参加人数が観客数で1000人(総数)いるとなると責任も生じる。これにはびっくりした。

なにをやっていたのかというと、旭いいおか文芸賞というものである。詩人の高橋順子氏を囲む会という組織が立ち上げて、津浪で深刻な被害を受けた飯岡地区の震災を語り継ごうというNPOがやっているのである。高橋順子氏は、匝瑳高校から東京大学の仏文を出られた俊秀である。

そして、海に関する詩や俳句、エッセー等々を文化会館で発表するという企画である。作品は約2000近く集まった。そこから一次審査で50数名に絞り、昨日は作者に朗読をしてもらってそれを審査する会であった。

NHKや神奈川テレビ・千葉テレビ等々の映像メディアをはじめ、読売、毎日、千葉日報等も取材に来ていた。ここから先はあまり興味がないけど。

ボキは、審査員をさせていただいた。これまた楽しかった。こういうのが、ボキの好きなことなのである。文芸的なものに関わるということがである。

審査員会議も何回も行われた。一回だけ、イタリアに行っていて参加できなかったけど。むろん手弁当である。旅費なんか出ない。だから尊い。自画自賛である(^_^)。

海の見える小高い丘から九十九里浜を見て、審査員会議に参加していた。この一年間。会長が経営するレストランでやっていたのである。毎週月曜日が休みだからである。すばらしい会長である。たいした方である。しかも会長は女性。ご夫妻で、津浪からの立ち上がりをしようという組織を立ち上げて活躍されている。これぞボキのこれからの目標である。

テメェのことしか考えていないというようなヤカラとは違う。枕の下に福澤諭吉さんを敷きつめて、じっと抱きしめて、誰をも信用せず、誰ともつきあわず、世間の皆様を愚弄しているようなジジイやババアになっちゃアカンのである。

非常にいい体験をさせてもらった。

審査員の講評ということでもクッチャベッテしまったけど、大勢の前でしゃべるのは得意中の得意である。ジョークを交えながら、しゃべった。

「私は肩書きのない審査員です。他の審査員の先生がたとはちょっと違っています。老人大学と一応書かれていますが、そこの生徒であります。ですから老人大学のセンセではありません。一応長い間、高校のセンセをさせてもらったので・・・・・」と始めた。

笑われてしまったけど。

次に「今日、登壇された方々には豊かな才能を垣間みた気がしました。これからもがんばってください」とやって、ここからちょっと辛口の寸評を。「日本語というのは、イのクチの形でなんでも発音をしようとするから・・・」と持論を言わせてもらった。だから、外国人に理解できなくなるのであると申し上げた。「定年退職後、生涯学習でもって、ある大学の大学院に3年間通っていましたので、外国人留学生との接点はたくさんありましたから」と。

退学した某大学大学院がこんなところで役に立つとは・・・トホホである。

わははっははっっはっっははははっは。

この辛口寸評は、終わってからのご苦労様会である人に褒められた。指導者への辛口批評であったから。そう言われた。聞いている人なんか誰もいないと思ったが、いたのである。

ありがたいこと限りなし。

さ、今日も天気晴朗である。

歩いてきましょう。

徘徊と間違われない程度に。怪しいジジイでありますから。

 

(^^)/~~~

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/