娘のお弁当箱を探して神楽坂を行ったり来たり。
神楽坂の中腹にある「山下漆器」に行ってみました。お店に入ってすぐに数種類お弁当箱が置いてありました。千数百円から本物の漆器のうん万円のお弁当箱まで購入可能です。
5月初めの福井旅行で行った「そば屋横丁」でここのお店のことを聞いていたので、ちょっと寄ってみたかったお店です。
明るくて元気な女将さんがいらっしゃって、思い切って福井旅行のこと、そば屋横丁のことをお話してみました。
神楽坂は何故か福井県と関係が深くて、福井県の出身の方も多いということです。お話は福井から神楽坂へ。みるみる変わっていくこの町が昔はどんなであったか、貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。もっともっとお話ししたい、素敵な女将さんです。
スリムなお弁当箱を買いました。
幅が狭いのでバックに入りやすいです。深さは3cmくらいはあるでしょうか。今朝詰めていたら、見た目より結構入るのでびっくりしました。
今日はから揚げ(またもや)、卵焼き、チャーシューときゅうり入り春雨サラダ、サツマイモの素揚げ。鮭とちりめん山椒のごはん。
昨年はここ神楽坂で「ド~ンと福井in神楽坂 越前・若狭まつり」が開催されました。美山のお蕎麦を実演販売したり、福井県の名産品の販売、勝山市の恐竜、オバマまんじゅうなど神楽坂のいたる所でイベントが行われました。
今年もあるといいなぁー、とひそかに期待しています。
http://blog.goo.ne.jp/umeboshi_2007/e/d342d4ef9472b4b4780920ed8285e1f7
http://blog.goo.ne.jp/umeboshi_2007/e/1bad882928e94cf53091cbb245d56a90
http://blog.goo.ne.jp/umeboshi_2007/e/de73ed40ebec5c7c185be26fe899b480
神楽坂の中腹にある「山下漆器」に行ってみました。お店に入ってすぐに数種類お弁当箱が置いてありました。千数百円から本物の漆器のうん万円のお弁当箱まで購入可能です。
5月初めの福井旅行で行った「そば屋横丁」でここのお店のことを聞いていたので、ちょっと寄ってみたかったお店です。
明るくて元気な女将さんがいらっしゃって、思い切って福井旅行のこと、そば屋横丁のことをお話してみました。
神楽坂は何故か福井県と関係が深くて、福井県の出身の方も多いということです。お話は福井から神楽坂へ。みるみる変わっていくこの町が昔はどんなであったか、貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。もっともっとお話ししたい、素敵な女将さんです。
スリムなお弁当箱を買いました。
幅が狭いのでバックに入りやすいです。深さは3cmくらいはあるでしょうか。今朝詰めていたら、見た目より結構入るのでびっくりしました。
今日はから揚げ(またもや)、卵焼き、チャーシューときゅうり入り春雨サラダ、サツマイモの素揚げ。鮭とちりめん山椒のごはん。
昨年はここ神楽坂で「ド~ンと福井in神楽坂 越前・若狭まつり」が開催されました。美山のお蕎麦を実演販売したり、福井県の名産品の販売、勝山市の恐竜、オバマまんじゅうなど神楽坂のいたる所でイベントが行われました。
今年もあるといいなぁー、とひそかに期待しています。
http://blog.goo.ne.jp/umeboshi_2007/e/d342d4ef9472b4b4780920ed8285e1f7
http://blog.goo.ne.jp/umeboshi_2007/e/1bad882928e94cf53091cbb245d56a90
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神楽坂、本多横丁を抜けて突き当たった所に築土八幡神社が現われます。
1200年ほど前、武蔵国 豊嶋郡 牛込の里に大変熱心に八幡神社を信仰する翁がいた。と書かれています。
あるとき、翁が夢に神雲を見・・・・・・、そして松の木に注連縄(しめなわ)をゆいまわして、その松を祀った。
この木なのでしょうか?
その後、伝教大師がこの地を訪れ、このことを知って神像を彫刻して祠に祀った。その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけられた。
江戸時代には「筑土八幡宮」といい、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を神としてまつった神社です。
本殿の横に古いお神輿がありました。
右のお神輿
左のお神輿
お参りをして、神楽坂をまた本多横丁を上ってきて、五十番の角まで来て、右に折れ、坂を上りました。
少し行くと、新しい看板に目を奪われ(それは新しく出きた洒落た焼き鳥やさんのようでした)小さな路地を右折しました。ちょうどカフェ茶寮とその焼き鳥屋さんに挟まれた道を行くと目の前に、あらら、公園?
知らなかった小さな公園。
こんな所に公園。公園といっても今は近所の方のスモーキングスペースのようです。ベンチの一つもありません。
それでも「寺内公園」という名前があり、由来がありました。
ここは鎌倉時代の末から「行元寺」という寺があり御本尊の「千手観音像」は太田道灌、牛込氏はじめ多くの人々が信仰したと伝えられています。
江戸中期、境内の東側が武家の住まいに貸し出されるようになり、
安政四年ころ、この一部が遊行の地となり神楽坂の花柳界が発祥したと伝えられる。
行元寺は明治四〇年に区画整理の際、品川区西五反田に移転したということです。
1200年ほど前、武蔵国 豊嶋郡 牛込の里に大変熱心に八幡神社を信仰する翁がいた。と書かれています。
あるとき、翁が夢に神雲を見・・・・・・、そして松の木に注連縄(しめなわ)をゆいまわして、その松を祀った。
この木なのでしょうか?
その後、伝教大師がこの地を訪れ、このことを知って神像を彫刻して祠に祀った。その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけられた。
江戸時代には「筑土八幡宮」といい、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を神としてまつった神社です。
本殿の横に古いお神輿がありました。
右のお神輿
左のお神輿
お参りをして、神楽坂をまた本多横丁を上ってきて、五十番の角まで来て、右に折れ、坂を上りました。
少し行くと、新しい看板に目を奪われ(それは新しく出きた洒落た焼き鳥やさんのようでした)小さな路地を右折しました。ちょうどカフェ茶寮とその焼き鳥屋さんに挟まれた道を行くと目の前に、あらら、公園?
知らなかった小さな公園。
こんな所に公園。公園といっても今は近所の方のスモーキングスペースのようです。ベンチの一つもありません。
それでも「寺内公園」という名前があり、由来がありました。
ここは鎌倉時代の末から「行元寺」という寺があり御本尊の「千手観音像」は太田道灌、牛込氏はじめ多くの人々が信仰したと伝えられています。
江戸中期、境内の東側が武家の住まいに貸し出されるようになり、
安政四年ころ、この一部が遊行の地となり神楽坂の花柳界が発祥したと伝えられる。
行元寺は明治四〇年に区画整理の際、品川区西五反田に移転したということです。
GWの最後に行った福井県坂井市三国です。漁港です。
海岸線から1本入った民家が建ち並ぶあたりを散策しました。
昨日は三国の「新保屋」というお蕎麦屋さんを載せました。
町は時間が止まったような空気が流れています。(住んでいる人には申し訳ないですが)、いつからこの姿なんだろう?
何屋さんかわからないお店が立ち並びます。
ググゥ~~~~っと近づいてガラス越しに覗くと、干物屋さんでした。
それも昔の駄菓子やさんのようなケースに昆布、うどんなどがしまわれています。
誰もいない。お店、やっているのかなぁー?お休みなのかなぁー?店名もわからない。こんなお店がいっぱいです。
水引屋さん?
昔懐かしいボタン屋さん?こんな風でしたね。
銀行。
骨董屋さんのようでした。
観光案内所。
また行きたい。
こんな素敵なところだったらしばらく生活してみたい。
海岸線から1本入った民家が建ち並ぶあたりを散策しました。
昨日は三国の「新保屋」というお蕎麦屋さんを載せました。
町は時間が止まったような空気が流れています。(住んでいる人には申し訳ないですが)、いつからこの姿なんだろう?
何屋さんかわからないお店が立ち並びます。
ググゥ~~~~っと近づいてガラス越しに覗くと、干物屋さんでした。
それも昔の駄菓子やさんのようなケースに昆布、うどんなどがしまわれています。
誰もいない。お店、やっているのかなぁー?お休みなのかなぁー?店名もわからない。こんなお店がいっぱいです。
水引屋さん?
昔懐かしいボタン屋さん?こんな風でしたね。
銀行。
骨董屋さんのようでした。
観光案内所。
また行きたい。
こんな素敵なところだったらしばらく生活してみたい。