ペルー移民
2014年10月22日(水)
1916年(大正5年)10月7日、父方の祖父(当時35歳)がペルーへの移民目的で、横浜港を出発し、同年10月24日、カヤオ港に着いています。祖父は私が生まれた時は日本にいましたので、移民は失敗に終わり、何時かは分かりませんが日本に帰ったのではないかと思います。ひょっとして、成功していたら、私はペルーの日系三世となっていた可能性があります。
私は広島ペルー協会に、1991年9月18日の設立の時から入っていて、少なからずペルーに関しては関心があったのですが、これまで、祖父がペルーに移民目的で行ったことがあるということは知りませんでした。家族の誰からも聞いたことがありません。あまり名誉なことではなかったのでしょう。経済的に苦しいので新天地を求めて移民をするのが一般的ですが、移民した先で成功した人は数少ないです。
http://hiroshima-ic.or.jp/hic/exchange/summit/meibo/99peru.html
「在ペルー邦人75年の歩み」は、従兄が日本に置いて帰ったものです。従兄の両親がペルーに移民し、その従兄は二世ということになります。
祖父は、1916年10月7日、安洋丸(総員242名)で渡航しています。
広島県からは13名が乗っています。
広島県の名簿ですが、右の「〇〇〇松」が祖父です。左の「〇〇一」は、私の母方の伯父に当たります。(当時20歳)
この本に出ていた広告にビックリしました。
TEACのアンプですが、AS200という型番で私は1970年3月に購入し、使っていました。この本は1974年出版です。「世界の最高級品といわれるTEAC」とありますが、当時日本でもこれ以上のアンプはいくらでもありました。
TEACはオープンデッキでは、他社を寄せ付けないほどの技術力を持っていましたが、エレクトロニクスの技術の進歩に追いついて行けなかったのでしょうか、現在、経営的に芳しくありません。昨日の株価は53円でした。甥がTEACと取引のある会社に勤めているのですが、最近取引を止めたと言います。何とか、盛り返してもらいたいものです。