団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

わたしのいないテーブルで

2021-09-29 07:08:44 | 家族

わたしのいないテーブルで

2021年09月29日(水)

 

 「わたしのいないテーブルで」。

 赤旗に連載された小説です。

 ろう者の子どもが母親を包丁で刺したという物語です。ろう者と健聴者との間の葛藤等を描いています。

 無名な私は本を読まないことで有名です。(笑) 久しぶりに本を読んで感動しました。

 

 08月01日の赤旗です。

 「あらすじ」として次のように載っています。

 母を刺したろう者・郁美の裁判で、互いを思いやっていた母親が手話への偏見と意思疎通の欠如から断絶していたことが明らかになる。

 

 「・・・なんであんな」以下は、裁判での、被告人郁美の証言です。

 

 最後の「聴こえない子供で、ごめんなさい」を読んで、私は号泣しました。

 

 

 wifeがもう数十年前に行ったコトを忘れることができません。

 

 wifeの同僚が配偶者(この場合「夫」)と喧嘩したんですね。夫は怒って家を出て暫くして帰った時、同僚(この場合は「妻」)が、「入りぃな」と言ったんです。「入りなさい」という意味なんですが、夫は「入るな」と受け取ったんです。この夫婦は新婚だったんですが、出身地が違っていて方言の理解がまだ十分でなかったんです。

 更に怒った夫は、車で家を飛び出し交通事故で死に至ったんです。

 言葉、意思が伝わらない悲劇でした。

 

 「言葉が足りない」とは、これ以上足りない人はいないほどの菅総理大臣ですが、辞職を表明した後、国会にノコノコと出かけてきました。これまで、国会に出なかったのは何なのよ!であります。

 先の私のwifeの話は、相互の悲劇でありましたが、菅氏と主権者である国民との間では、同じ意思疎通ができていないといっても、一方的な悲劇であります。何故なら、方や権力者であるからであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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