ローマ教皇 長崎・広島訪問
2019年11月26日(火)
ローマ教皇が来日し、長崎と広島を訪問しました。
私は、現在の人類社会の危機的状況を打開するには、偉大な哲学者、思想家、宗教家の登場が大きな役割を果たすとみています。
「危機的状況」とは何か?それは、人類が科学文明をコントロールできていないということです。その最たるものが核の脅威であることは、誰しも認めることと思います。
AIであるとか、生命科学なども、人類を脅かす大きな存在です、と思います。
11月25日の朝日新聞です。
「核の威嚇に頼り 平和を提案できるのか」と問うています。全く同感であります。
核固執勢力は、平和のためには核の抑止が必要と宣うておられます。それなら、全世界が核で武装すれば絶対的な平和になるって論理になりますですなぁ。(ハハハッ)
各論を少し詳しくみると、この中で、「次の世代の人々が私たちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう」と言っています。これ、グレタさんの気持ちと一緒と思います。
https://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/a882e7426b599cb0dc020ba10a7d9ea9
この中で「祈る」という言葉が出るのは一か所だけです。それも、「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、静かに祈る」と、死者への冥福のためです。
私ゃ、「平和のために祈る」という言葉に大の疑問を持っていまして、平和は祈れば実現するものではないと思うのであります。教皇は宗教家でありますが、「平和のために祈る」とは言わず、むしろ戦いを宣言しているようであります。誰にか?核武装勢力に対してであります。
終末時計があと2分! 1974年以降最も危機的状況であります。
ローマ教皇は、「私たちの失態」と言っています。自らも含めているのであります。ここが崇高と思います。自らの責任と自覚しなければ、行動は起こせません。
はてさて、私自身の責任とは何か?何をなすべきか? こりゃ、一杯飲みながら考えんにゃいけませんです。そしていつの間にか飲み潰れているのであります。これじゃ、平和は訪れませんです。(恥)
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