大野和士&萩原麻未 夢の共演
2017年1月9日(月)
音を聞いて色を感じることを共感覚と言い、200人に一人くらいその能力を持った人がいると言われています。今日ばかりは、私にもその能力があるのかと思いましたですよ。「今日ばかり」とは、昨年12月3日、大野和史指揮広島交響楽団の演奏で、ドビュッシーの交響詩「海」を聴いた時のことです。
この曲は、ステレオでは何回となく聴いたことはありますが、印象派の音楽にしては印象に残らす歯がゆい思いをしていたところです。ところが、実演で聴くと、様々な色が形を変化させ出現するような色彩感豊かな曲ということが分かりました。コンマスのソロとか、分奏(第一ヴァイオリン)があったりとか、視覚的にも変化のある演奏だったということも一層色彩的に感じた要因かも知れません。
指揮に関して、凄いと感じたことがありました。1曲目エンディングの部分で、トロンボーンがディクレッシェンドするのですが、大野が高く上げた手を下げる動きにピッタリ合っていて、まるで大野からトロンボーン奏者まで糸が繋がって手繰られているように感じたのです。「指揮」とは、糸を手繰るようにして、楽団員に意図を伝えるのかと思いました。
冒頭、私にも「その能力(共感覚)がある」と書きましたが、一晩寝て次の日、どうしてもその色が浮かびません。つまりは、私の場合は、「今日だけ」感じるという意味で「今日感覚」だと気付いた次第であります。(^_^;)
(余談)
「痛恨の見損じ」とも言うべきでしょうか・・。この演奏会、実は時刻を間違い、会場に着いた時は、既に前半終了間際でした。碁で例えると、優勢なのでこのあとヨセでいくらミスしても勝ちは動かないという局面で、身ダメを詰めて攻め合いで大石を取られ負けてしまったということです。実は、今年の8月にはもっと悲惨なことがあり、「そう言えば、萩原麻未の演奏会がある頃だ」とチケットを確認すると、2日過ぎていたことがあったのです。それ以来、日付は気にかけていたのですが、そちらの方に気を取られると、時刻の方が疎かになってしまっていたという訳ですね。おまけに、演奏会が終了し、ふと気付くと、ズボンのファスナーを締め忘れていたという、締まらない顛末でした。
(曲目)・ラヴェル:ラ・ヴァルス、ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調作品83(ピアノ:萩原麻未)、ドビュッシー:月の光(アンコール)ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、ドビュッシー:交響詩「海」、ビゼー:ファランドール(アンコール)
アンコールのビゼーのファランドールは、これ以上は物理的に無理と言わんばかりのアップテンポで、目くるめく興奮の渦の中に巻き込まれてしまいました。何回も「ブラーヴォ」と叫びました。ただし、口パクで。
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