水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2007年08月31日 | 日々のあれこれ
世間一般の価値観、または学校特有の価値観に照らし合わせて不適切と思われる行為に対して、それはいけないよというのが教員の仕事である。そして注意した生徒が反省しているかどうかを見届けるのも仕事だ。しかし人の心はわからない。心の中でほんとうに反省しているのかどうかを見分けることはできない。教師は生徒の内面を把握すべきなどとのたまわれる方もいるが、そんな神のごとき行為を可能だとする知性を疑ってしまう。だから教員は、見た目やふるまいで反省しているかどうかを判断することになる。内面は見えない。心の中でまったく反省してなくても、外から見て反省しているように見えればよいのだ。そのようにできることを社会性が身についたという。とこれは前書き。いや朝青龍の風貌はどう見ても反省しているようには見えないかったから。というか、謹慎中の生徒がひげはやして登校してきてたら、多分われわれは激怒するか途方にくれるかどちらかだろう。まあ横綱もかわいそうではある。獲物をみつけたマスコミ、そしてそれを喜ぶ私たちの心性は、やはりこれは「いじめ」と同じだ。ここまでの目にあったのだから、朝関も別に相撲に固執しなくていいんじゃないかな。私と同世代以上の多くの男性は悔しがっている。A猪木が現役であったならと。そして新間氏が若かったならと。そうしたら、今年の大晦日は、猪木VS朝関で、東京ドーム超満員、紅白歌合戦の倍は視聴率がとれる。できれば、朝関には謎のマスクマンで登場してほしい。あの素材がただ謹慎しているのはもったいないなあ。
コメント
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