学年だより「英語の多動力」
文化祭、おつかれさまでした!
一瞬で切り替えて、勉強モードに入ろう!
再来年から英語四技能の入試が始まることは、情報としては十分伝わっていると思う。
英語の民間試験を入試に利用することについて、いまだに一部の大学で慎重な対応が議論されているが、この流れは誰も止められないし、グローバル化をさけぶ大学の先生がこのような態度をとるのは、滑稽でさえある。周りからどう見られているかの自覚のなさは、日本人のあらゆる面にあてはまるのかもしれない。村上憲郎氏は、こう語る。
~ 日本人の英語に対する危機感みたいなものって、本当に皆無なんですよね。これでは日本の国際競争力は、数年後にはゼロに等しくなるのではないかと思います。
… 日本はなまじ英語を学ぶ必要性がない教育体系だったので、英語に対応することや英語の必要性をあまり感じずにここまで来ることができました。それこそ、英語は一部のエリートができればよいという感覚でしょう。それはある意味幸せなことでもありますが、ビジネスをやるにせよ、研究をするにせよ、世界を相手にするためには英語を話さなければ話にならないのです。
なので、少々乱暴な言い方をしますが、今どき博士号を取っても、英語を話せるようにならない大学に行っても仕方がありません。少なくとも修士課程以上では英語で授業をやるような大学でないと、これからの日本を背負って立つ人材は生み出せないでしょう。そう考えると、東大や京大ですら、大学の世界ランキングの順位をつるべ落としのように下降している理由が理解できますよね。 (「村上憲郎インタビュー」堀江貴文『英語の多動力』DHCより ~
元グーグル日本法人会長の村上憲郎氏は、『村上式シンプル英語勉強法』という本も書かれているが、英語の勉強を本格的に始めたのは31歳の時だった。
日立電子で8年働き、DECという米国系のコンピューターに転社すると、ネイティブの英語に接して仕事をしなければならなくなる。
若い社員たちが、わざと英語の電話を村上氏にまわして困るのを楽しんでいるという環境だった。
外資系の企業では、英語がわからないとチンパンジー扱いされると気づいた。それまでのキャリアとか、さすが京都大学卒だとかは誰も言ってくれない。
話さないのは、英語が苦手だからではなく、頭が悪いのだと思われる。
英語が話せるというだけで自分の上に立つ同僚を見ているのは、自分が許せなかった。
一念発起し、毎日3時間の英語勉強を自分に課すことにした。
「どうやって3時間も1日に工面したんですか?」と後に聞かれるようになるが、日立時代に残業月200時間の生活をしていた村上氏にとっては、なんでもないことだったという。