学年だより「英語の多動力(4)」
社会人になってからどんな生活をすることになるのかなど、みなさんにはイメージはないだろう。
大学に入ってしまえば受験勉強はしなくてすむし、就職すれば単位やGPA(評定平均みたいな数値)からは解放される。
ひとつ言えるのは、大人になっても勉強は続くということだ。
ただし、何をどのくらい勉強しなければならないかが決まっていない。
まったく勉強しない人もたくさんいるし、しなくてもすむ仕事もある。
勉強する大人と、しない大人の差は、長い目で見るとはっきりした形になって表れる。
しかし、勉強していない人には、どれくらいの差になっているのかさえ見えない。
だから、むしろ高校や大学以上にシビアなのが大人の勉強と言えるかもしれない。
今後グローバル化が進み、AIが様々な分野で活躍する時代には、この傾向はますます、というか加速度的にすすんでいくことが予測される。
勉強の習慣を身につけることと、英語の基礎を学んでおくことは、必要最低限の義務だ。
~ 今、あなたの目の前で、村上さんが「英語を勉強しろ」と言ってくれている。
そのときに「自分は凡人だから」と言ってしまった時点で、「自分は今のままでいい」「努力したくない」と言っているようなものなのだ。
どうせ言うなら、せめて努力してから言うべきだと思う。圧倒的に大事なのは実行力だ。
思いつきよりも考えたことを努力して形にした人が本当に評価されるのだ。 (堀江貴文『英語の多動力』DHC) ~
たとえば、大人になってから、仕事の必要にせまられて英語を突貫工事で勉強する人がいる。
急にイーオンに通いはじめたり、高いお金を払って個人レッスンをしたりする。
結果がでやすい人とそうでない人の差は、土台がどれだけできているか、つまり高校時代にどれだけ勉強したかで決まってくる。
高校時代の勉強が有用なのは、文法から土台を築いているからだ。
さらに、大学入試の長文で勉強せざるを得ない、知的な文章を読む経験の蓄積が大きい。
日常会話や、自分の専門ビジネス分野にかぎっての英語なら、現場にどっぷりつかれば、ある程度まではなんとかなる。英語しか通用しない環境に一年もいれば、話せるようになるだろう。
しかし、仕事でそれなりに成果をあげる位置にいこうとしたり、人を使う立場になったりするには、ちゃんとした基礎が必要になる。
みなさんが高校時代にする勉強は、やればやるほど正しい土台となる。今ちゃんとやれれば、未来の自分が、きっとお礼を言いにくるにちがいない。逆の場合は…、こわくて書けない。
その気になりさえすれば、いくらでも未来が変えられるみなさんがうらやましい。