水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「ぎぼむす」は、平成の『自虐の詩』だ。

2018年09月19日 | おすすめの本・CD

  テレビドラマの「ぎぼむす」をちらちらと見ながら心惹かれてしまい、コミック『義母と娘のブルース(上下)』を購入し、西関東大会を聞きにいった帰りに買って読んでたら没頭し、電車を降りてもやめられずマクドで残りを読み切り嗚咽をこらえていた。いかばかりかはあやしかりけん。
 一つのキャラしか生きられない人がいる。
 たとえば「先生」としてしか生きられないとか。自分の娘にも先生的な接し方しかできず、きれいごとや建前を言うばかりで嫌われてしまうみたいな。
 不器用なのだと思う。人との接し方がへたというより、真面目すぎて。
 そのひたむきさは逆に、うまく立ち回れる人には見えないものを可視化する。本質をつく。虚飾も見抜く。
 そんなキャラを描いてきたのは、自分の知る限りでは何と言っても業田義家だ。
 武士も、源さんも、イサオも、状況に応じて自分をかえることができない不器用な人格で、そのまっすぐさは滑稽だけど、人の心をうつ。彼らにふるまいは常識的にはおかしいと思えるのに、いつしかおかしいのは自分の方かと思わせられる。
 ぎぼむすの亜希子さんも同じだ。彼女がなぜビジネスウーマンとしてしか生きられなくなってしまったかは、テレビでは最終回であかされるが、その話が泣ける。
 亜希子さんが娘のみゆきに打ち明ける。あなたの義母になったのは自分のエゴにすぎないのだと。
 全部自分のためだったのだと。
 あなたが笑うと自分も笑える、あなたが傷つけられたときは自分のことのように怒り、あなたがほめられてると自分がほめられてる気持ちになる … 。自分のためにあなたのそばにいたかっただけだと。
 娘のみゆきが叫ぶ。
「お母さん、ばかじゃないの! 世間ではね、それを愛って言うんだよ!」
 萌歌ちゃんが叫ぶこのシーンは泣いたなあ。
 原作は四コマ仕立てで、四コマでくすっと笑わせる塊が、いつしか大きな物語に積み上げられていく構造で、まさに業田義家の傑作『自虐の詩』だ。
 原作もみごとだし、それを具現化したスタッフの方々、そして綾瀬はるか、上白石萌歌さんに感謝したい。

コメント
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