水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

コツとカン(1)

2020年01月17日 | 学年だよりなど
2学年だより「コツとカン(1)」


 ~ いわゆる「才能がある」と言われている人たちがいますよね。彼ら、彼女らには共通点があります。それは、みんな努力をしていることです。 (坪田信貴『才能の正体』幻冬舎) ~


 トップアスリートとよばれるスポーツ選手、様々な芸術分野で活躍するクリエイターたち、会社をおこして莫大な利益をあげている人たち……。
 そういう人をみたときに、私たちはうらやむ。きっと彼らは才能に恵まれていたのだろうと。
 もちろん、彼らの努力を軽んずるわけではないが、ついつい自分たちにはない才能があるからこそ、今の成功や地位を手に入れたのだと考えてしまう。
 実際には、成功する人は成功するべき努力を積み重ねている。
 では、どれほどの努力を積めばいいのか。
「漠然とがんばれと言われてもどうしていいかわからない」「実際にどれくらいやればいいのか教えてほしい」という声にお答えしよう。
 前にも書いたことがあるが、基本は「1万時間」だ。
 この世には「1万時間の法則」というものがあり、どんな分野でも、1万時間の訓練や実践を積むと、その道の一流になれるという。
 1日10時間やって1000日。1日10時間の練習を3年間続けること。一日5時間なら6年。
 スポーツや芸術分野の一流は、小学生のうちにこなしてしまっているだろう。
 「一流」とまではいかなくても、物事を身につけるのに、一定量の反復は必要不可欠だ。
 たとえば「運動神経がいい」「歌がうまい」人たちは、先天的にそうだと思われがちだが、実際には子供の頃からの反復によってその「わざ」を身につけている。


 ~ 料理人の包丁さばきや書道家の筆さばき、楽器の演奏など、それぞれのジャンルに求められる特別な動きとしての「わざ」を身につけるためには、コツをつかみ、カンを働かせなければならないのは言わずもがなである。「わざ」の習得に励んできたほとんどの人は、なにかを特別に意識することもなくただ感覚的に動作を反復することを通じて、コツやカンを身につけてきたにちがいない。
 ……コツをつかむには「意識の宛先」をからだの内側に向ける必要がある(自我中心化)。これに対し、カンを働かせるには周囲へと向けなければならない(状況投射化)。どちらか一方だけでは成り立たないのが「わざ」の習得で、コツをつかむことと、カンを働かせることを同時的に行えるようになることが運動習得のゴールである。コインの裏表ともいえるこの二律背反こそが、運動そのものを難しくもオモシロくもしている。 (平尾剛『脱筋トレ思考』ミシマ社) ~


 無意識には身につけられなかったこと、つまり自分に才能があるように思えなかったことに対しては、コツとカンの仕組みと関係性を理解すればいい。
 そして意図的な反復を積むことで、「わざ」を身につけることは可能になる。
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