学年だより「1.01の法則」
先週金曜(1日)に、みなさんの先輩達が卒業していった。
静粛かつ荘厳な、立派な卒業式だった。その日まで、みなさんは残り2年。730日。17520時間。
川東の一年生になった頃の自分と今の自分を比べたとき、自分が自分に予定していた分の成長をとげているだろうか。
かりに入学以来、毎日1%だけ成長してきたとする。
入学時に「1」の実力の人が、翌日に「1.01」の人になっている。
さらに翌日も前日より1%だけ成長している、というように。
前の日の自分よりも「0.01」分だけ伸びるという日を積み重ねたならば、一年後にはいくつぐらいになるか、想像してみてほしい。
「1×1.01×1.01×1.01×1.01 … 」というかけ算をすると、いくつになるか。
最終的には「37」を越える数字になる。
毎日コツコツやってきた人は、外見では少し背が伸びたぐらいの変化かもしれないが、中身は「1」から、まもなく「37」になろうとする人間になっているということだ。
もはや別人ではないだろうか。
ちなみに、みなさんの年代で一年生きていれば、分子レベルだとほぼ全てが入れ替わっている。
かりに、入学時に「1」の力だった人が、毎日ちょっとだけ「0.01」分さぼり続けたならば、どうなるか。
翌日には「0.99」になる、その翌日も前日の「0.99」になる … 。
「1×0.99×0.99×0.99×0.99 … 」というかけ算をしていくと、一年後には「0.03」をわりこんでしまうのだ。ヤバくね?
思い起こしてみると、トップクラスの成績で入学してきて、3年後にはその面影がなくなったなぁと思わざるを得なかった先輩は、たしかにいた。
自分は北辰はいくつあったとか、ほんの少しミスって○○高校落ちてきたというような話を、いつまでもひきずっていたような人だ。
「0.01」だけ成長していくだけで、37倍。
「0.01」さぼるだけで、元の0.03。
一日一日の差はわずか「0.02」でありながら、一年後の両者の差はあまりにも大きい。
「0.01」分の成長とは、テストの点数だけを指して言うのではない。
部活での努力も当然含まれるし、接点のなかった友だちと話ができるようになったことも大事な経験だし、本や映画や音楽や絵で心を打たれることは、感情を成長させる。
ゴミを拾えたこと、電車で席が譲れたこと、いつもより元気よくあいさつできたこと、すべては「0.01」だ。困った人に声をかけるのは「0.05」分くらいありそうだ。
人としてのレベルを「37」上げれば、将来の就職にもつながるし、間違いなくモテモテにもなる。
それは、より自由な人生を過ごすことできるということを表す。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます