水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「こころ」の授業(2)

2019年10月06日 | 国語のお勉強(小説)
二段落

 Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話をやめませんでした。しまいには私も答えられないような立ち入ったことまできくのです。私はめんどうよりも不思議の感に打たれました。以前私のほうから二人を問題にして話しかけたときの彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変わっているところに気がつかずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんなことばかり言うのかと彼に尋ねました。そのとき彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が震えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生から何か言おうとすると、言う前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するようにたやすく開かないところに、彼の言葉の重みもこもっていたのでしょう。いったん声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
 彼の口元をちょっと眺めたとき、私はまた何か出てくるなとすぐ感づいたのですが、それがはたしてなんの準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、〈 彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられたときの私 〉を想像してみてください。〈 私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです 〉。口をもぐもぐさせるはたらきさえ、私にはなくなってしまったのです。
 そのときの私は恐ろしさの塊と言いましょうか、または苦しさの塊と言いましょうか、なにしろ一つの塊でした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに固くなったのです。幸いなことにその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐしまったと思いました。先を越されたなと思いました。
 しかしその先をどうしようという分別はまるで起こりません。おそらく起こるだけの余裕がなかったのでしょう。私はわきの下から出る気味の悪い汗がシャツにしみ通るのをじっと我慢して動かずにいました。Kはその間いつものとおり重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくってたまりませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上にはっきりした字ではりつけられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気のつかないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分のことに一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くてのろいかわりに、とても容易なことでは動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念にたえずかき乱されていましたから、細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前言った苦痛ばかりでなく、時には一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念がきざし始めたのです。
 Kの話がひととおり済んだとき、私はなんとも言うことができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいるほうが得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。〈 ただ何事も言えなかったのです 〉。また言う気にもならなかったのです。
 昼飯のとき、Kと私は向かい合わせに席を占めました。下女に給仕をしてもらって、私はいつにないまずい飯を済ませました。二人は食事中もほとんど口をききませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだかわかりませんでした。

分別(ふんべつ)……物事が判断できること
自白……罪や秘密をうちあける 白(もう)す
給仕……食事の世話

Q5「彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私」とあるが、その直後「私」は どのような思いを抱いたのか。二点抜き出せ。
A5 しまった  先を越された

「私は彼の魔法棒のために一度に化石された」について
Q6「彼の魔法棒」とは何をこのように喩たのか。7文字で抜き出せ。
A6 彼の言葉の重み

Q7「化石された」とはどういうことか(70字以内)。
A7 自分が結婚相手と考えていたお嬢さんに対して、
  Kが恋愛感情を抱いているという想定外の事実を知り、
  身動きできないほどの衝撃を受けたということ。

 比喩説明 … 具体物 → 抽象概念 
         石になる→精神的に硬直する

 心情説明 … 事情説明+心情
         予想もしてない自白→衝撃

Q8「ただ何事も言えなかったのです」とあるが、それは「私」がどんな思いを持ちはじめたからか。20字以内で抜き出せ。
A8 相手は自分より強いのだという恐怖の念


事 お嬢さんが好きというKの自白を聞く
   ↓
心 化石された
  しまった 先を越された
  恐ろしい 苦しい

行 どうすることもできずKの告白を聞く
   ↓
事 Kに対する恐怖の念がうまれる
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