本日、卒業論文の提出締切日。
ウチの学部はかように締切が早い(他学部は年明け)上に、
基本的に、文献を読むだけでなく、データを取って分析する手間がかかり、
提出時のチェックが厳しく、1人あたり5分を要する上に、
先週までの提出者が50名で、今日だけで残り70名の提出が見込まれる。
しかも、締切は16時といつもより早い。
かようなタイトなスケジュールの故に、今日は相当な混乱が予想されたが、
少なくとも本日提出する予定の卒論は、ほとんど受理できた。
私のゼミの学生も、途中で挫折した一人を除いて全員提出した。
今年から学科主任でもある私は、受理業務を最後まで見届ける義務があるので、
他の用事はないまま、ずっと居残っていた。
伝統社会では、若者が大人になるために試練を与えられる”通過儀礼”というものがあり、
成人式とは本来それを意味する。
現代では、卒論こそ、長い学生時代から社会人になるための通過儀礼としての”試練”に相当する。
私は、そのつもりで厳しく接している。
だからこそ、なおいっそう、「おめでとう、よくやった」と心から祝福できる。
ウチの学部はかように締切が早い(他学部は年明け)上に、
基本的に、文献を読むだけでなく、データを取って分析する手間がかかり、
提出時のチェックが厳しく、1人あたり5分を要する上に、
先週までの提出者が50名で、今日だけで残り70名の提出が見込まれる。
しかも、締切は16時といつもより早い。
かようなタイトなスケジュールの故に、今日は相当な混乱が予想されたが、
少なくとも本日提出する予定の卒論は、ほとんど受理できた。
私のゼミの学生も、途中で挫折した一人を除いて全員提出した。
今年から学科主任でもある私は、受理業務を最後まで見届ける義務があるので、
他の用事はないまま、ずっと居残っていた。
伝統社会では、若者が大人になるために試練を与えられる”通過儀礼”というものがあり、
成人式とは本来それを意味する。
現代では、卒論こそ、長い学生時代から社会人になるための通過儀礼としての”試練”に相当する。
私は、そのつもりで厳しく接している。
だからこそ、なおいっそう、「おめでとう、よくやった」と心から祝福できる。