古代ギリシャの「万学の祖」といわれるアリストテレスについては、大学の時、哲学の授業で読めと言われた『形而上学』に挫折して以来、ずっとおさらばだったが、
心理学の授業をやる側になり、心理学史も触れることになって、現存する最古典の心理学書といえるアリストテレスの『デ・アニマ(霊魂論)』を紹介する立場上、それを読まないわけにはいかなくなり、
講談社学術文庫になっているこの書の最新訳書『心とは何か』(桑子敏雄訳)を読んだ。
この訳書の解説にある通り、この本はアリストテレス哲学を知悉していることを前提に書かれたものなので、難解である。
しかし、そこかしこに古代ギリシャの知的水準の高さに感心する所もあり、確かに苦闘はしたが結果的にためになった。
アリストテレス自身ではなく当時の知的水準の高さに感心したのは、たとえば以下のことがすでに知られていた点。
●視覚の対象は色でそれを可能にするのは光である。
●聴覚の対象は空気の振動であり、音の高低は、空気の振動数の違いである。
●味覚は触覚に属し、触覚がもっとも根源的で必須の感覚である。
●知覚の中枢は大脳にある。
●太陽は自分たちのいる地球よりずっと大きい。
私はこれらは近代になってはじめて発見されたものだと思っていた。
古代ギリシャおそるべし。
そして本題であるアリストテレスにとっての”心(プシケー)”とは、栄養摂取や感覚・思考、運動能力のことであり、それぞれについては植物や動物にも備わっている。
生きる能力としての心は、身体とともに「生きていること(生命)」そのものであり、身体なくして心はありえない。
すなわち心身一元論である。
心が”存在”と密接にかかわっているというこの視点こそ、私が現代心理学に足りないものだと思っていた。
それでハイデガーの存在論に接近していたのだが、実は彼の哲学自体、アリストテレスに遡ることが明言されている。
ということは私自身もアリストテレス哲学をきちんと読まねばならないわけだ。
ちなみに心理学史としてアリストテレス以降に紹介する、デカルトの『情念論』、スピノザの『エチカ』も感情論としてとても参考になった。
古典てバカにできない。