今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

かけがえのなさ=愛

2021年10月26日 | 心理学

小室圭さんと(名字なし)眞子さんの結婚には、世間はいろいろな思いがあるだろうが、私は祝福したい。
花嫁側の両親は不承不承で、両家レベルのつき合いはないだろうけど、本人同士の気持ちという本質部分が貫徹された。
私にとって小室圭さんは、きちんと立ち止まって礼ができる品格のある人だという印象。

さて、お二人の会見で、心に残ったのは、眞子さんが「かけがえのない人」と言い、圭さんが「愛している」と表現したこと。

手前味噌だが、私の「心理的距離モデル」では、心理的距離を構成する2次元(空間的距離は1次元だが、距離感は2次元)に個別性と共同性を措いている。

個別性は、その人であることの存在感の強さ。
共同性は、自分との存在的近さ。
通常の心理的距離は、自己との一体感である共同性のみを意味するだろうが、私はあえて個別性、すなわち相手を”他者”として認める部分を対人関係としての心理的距離の要素とした。
そして、2次元としての心理的距離が接近するということは、単に共同性(一体感)のみが近づくことではなく、その人であることの重要性が増すことを同時に満たすことと定義した。
いわば個別性と共同性の2次元空間上の合成値が私が定義したい”心理的距離”である。
その合成値は、心理現象としてどのような感じ方なのか。
それを「かけがえのなさ」と表現した。
ただし、あえて「欠け替えのなさ」と当て字する(正しい漢字ではない)。
すなわち、相手が欠けてほしくない=そばにいてほしい(共同性)という気持ちと、
他の人には替えられないあなたであること(個別性)という気持ちの合成としての”欠け替えのなさ”である。
さらにこの二重意味の用語をたった一言に置き換えるなら、それは「愛」だ。
愛とは盲目的な自他融合ではなく、相手を自己ならざる者”他者”として認め、その存在を受容し、大切にすることである(自己投影としての単なる一体感は、相手の存在を認めていない)。
お二人が語ったように、「欠け替えのなさ」とは愛であり、個別性と共同性によって構成される心理的距離の値のことである。
なので、二人の愛は本物といえる。