午前中の授業が終って研究室に戻り、ネットを開いたら、安倍元首相が銃撃され心肺停止とのニュース。
気が気でない中、午後の仕事を終え、夕方帰宅してテレビをつけたら、医師の記者会見の映像に「安倍元首相死亡」のテロップ。
部屋の仏壇に線香を点して合掌し、冥福を祈った。
安倍元首相は、私にとっては歴代首相の中でベスト1で(在任期間の長さがそれを示している。ただし消費税10%増税は賛成できなかった)、後続する首相は器がひと回り小さく見える。
その意味でも喪失感が大きい。
犯人は、アンチ側ではなく、政治信条的には支持側であったという。
(宗教団体※への接近という)”裏切られた感”が憎悪に結びついたのか。
※:統一教会:正式名は「世界基督教統一神霊協会」と名乗る霊感商法などで世間を騒がせたカルト宗教。宗教の勧誘を拒否しなかった私もいろいろ記憶があるが、印象はすこぶる悪かった。
ストーカー殺人と同じく、愛(存在肯定)の裏返しの憎悪(存在否定)である。
憎悪は逆説的に存在にかかわる感情で、殺意に結びつく。
それにしても京アニ事件から、一方的憎悪による殺人事件の続発が気になる。
殺される側には心当たりがないだけに、防ぐのも難しい(安倍元首相の場合は警護にかなり問題があったようだ)。
他罰傾向が肥大して行動化する前に、第3者が介入するすべはないものか。
こういう人は社会的に孤立していることが多いから、他者が気づくことが難しい。
平気で他者を憎むというメンタリティ(風潮)をなんとかしたいが、そもそも政治を取り巻く世界(マスコミを含む)が憎悪をベースに動いているような気がする。
ついでに真に愛を実践する教団(≠宗教)も稀有。
教団(人間の集合体)は、我欲(権力欲、財欲、依存欲…)の集合体になっているから。