安倍元総理殺害事件以来、統一教会というカルト宗教の問題が再注目されている折り、信者からの集金システムとしての”教団”を戯画的に描いたビートたけし※(原作・出演)の映画『教祖誕生』(1993年)を観直した。
※:原作も北野武ではなくビートたけし
内容は、旅行中の青年(萩原聖人)がそこで偶然出逢った新興宗教の新教祖になっていくもので、宗教好きな私にとっては、たけし作品の中では一番のお気に入り。
今回観直して気づいたのは、旧教祖(下條正巳)が、”手かざし治療”のパフォーマンス時に示した手印(ムドラー)。
この印を調べたら(↓参考文献)、摩醯首羅天(まけいしゅらてん)のものだった。
映画での教団は「真羅崇神朱雀教」という神道系(少し仏教要素も混入)の教団の形だが、上記の摩醯首羅天から”摩”と”羅”を選ぶと教団名の最初の2字と音がかぶる。
教団名の「真羅」は「しんら」と発音するが、ともに「マラ」と発音できるから、ここに作者のイロニー・遊び心が表現されているようだ。
その摩醯首羅天とは、元の音をマヘーシュバラと言い、元はヒンドゥー教の宇宙を統べる最高神を構成するシヴァ神に相当し、漢訳で大自在天※ともいう。
※最高神だが、仏教内では天部(守護神)なので、仏道の本道を行く如来や菩薩より格下。その証拠に如来の化身である(降三世)明王にシヴァ神が踏みつけられている。
シヴァは破壊神としても有名で、インドではシヴァはリンガ(男根=マラ)によって祀られる。
そして映画では、「真羅崇神朱雀教」の影の支配者で、金儲けのために教団組織を利用するだけのビートたけし扮する男の名はなんと「司馬」(しば)。
この司馬は、教団内で破壊者となる(司馬がシヴァに重なる象徴的シーン)。
宗教教団といえども、人間が構成する集団ゆえに避けられないドロドロした通俗性。
その通俗性を宗教教団は、独自の宗教的論理(地上天国、世界平和など牽強付会的辻褄合せ)で誤魔化す。
もっとも信者自身が、自身に内蔵する通俗的欲望をその高尚な論理に託して満たそうとする。
この作品が示したのは、宗教教団こそ、もっとも人間臭い場所だということだ。
内村鑑三が無教会派を通したのもうなずける。
参考文献:藤巻一保 『密教仏神印明象徴大全』 太玄社