伯爵家として上京後
忠忱ー長幹ー忠春ー忠統、長行ー長生
明治になって旧藩主は華族に列せられ、小笠原惣領家は伯爵、また唐津・勝山・安志の各小笠原家は子爵となった。
これら華族小笠原家はいずれも東京に出てきた。
豊津藩主忠忱の子長幹(ながよし、30)は貴族院議員となり、さらに国勢院総裁となった。
また各地の小笠原氏の史跡(飯田、松本、豊津)に碑を建立した。
武家の時代は終わり、これからは小笠原流礼法の現代化と、正確な普及が課題となる。
旧小笠原邸
東京のど真ん中、新宿区河田町にあるこの建物は、 1927 (昭和2) 年に忠忱の息子小笠原長幹伯爵の邸宅として、 小倉藩の下屋敷跡に建てられた。
スペイン風の建築で、都の選定歴史的建造物に指定されている。
小笠原氏の歴史や礼法よりも、むしろ近代建築に関心ある人の間で知られている。
今はスペイン料理のレストランになっていて、建物がいいこともあり、賑わっているらしい(私の母もランチで利用)。
中のレストランを利用しなくても、敷地内に入って建物の外観の見学はできる。
特に館背面のテラスの装飾がポイント(下左写真)。
建物だけでなく、門扉の装飾にも注目。
ちなみにこの地、私の本籍地の隣町なんだな。
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背面
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正面入口
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東京大学史料編纂所 など
史料の宝庫「史料編纂所」は文京区本郷の東大キャンパス内にある。
ここには小笠原惣領家に伝わる資料、たとえば家譜笠系大成、糾方的伝系、大鑑禅師遺戒、忠真碑銘などを小笠原長幹が寄贈した。
また勝山小笠原氏の史料(小笠原家譜)もここに移っている。
ただ歴史関係の資料が多く、肝心の礼書は少ないようだ。
ここは研究者向けに公開されており、閲覧するにはそれなりの入館手続が必要。
もっと気楽に小笠原家の礼書に接したければ、『礼書七冊』と同じものが、渋谷区広尾にある都立中央図書館で閲覧できる。古文書のままの書体だが、複写は可。
また千代田区永田町にある国立国会図書館には、惣領家の礼書こそないが、『笠系大系』や『勝山小笠原家譜』などの活字版があり、おおいに重宝。
また他家に伝わっている小笠原流礼書の古文書も多数ある。
礼法ではないが、生け花の『長時花伝書』の活字版があるのはうれしい。
積極的に利用しよう。これら文献についての詳しい情報は文献リストのコーナーで。
小笠原惣領家礼法研究所
長幹の息子でそして先代宗家の忠統(ただむね)氏(32)は、長野県松本市図書館長、相模女子大学教授を経て、日本儀礼文化協会総裁を歴任。
1980(昭和55)年、東京で「小笠原惣領家礼法研究所」を設立し、それまで門外不出だった惣領家礼法を現代化し、一般に広める活動を始めた。
それに伴い、貞慶が編纂した「礼書七冊」を『小笠原礼書』と題して翻刻出版(1978年)したほか、自身の著による礼法の啓蒙書・解説書も多数にのぼる。
その意味で忠統氏は、小笠原惣領家礼法の歴史においても、貞慶に匹敵する存在。
その研究所は、忠統氏の没後、小笠原源文斎(阿部 速)氏が所長となって、小笠原流礼法では唯一の(国に登録した)資格発行機関として小笠原流礼法の正式のインストラクターを養成していた(2019年没)。
不肖小生こと源松斎山根菱高もその末席を汚した次第で、勤務先の大学でも、小笠原宗家礼法の実技指導をしている。
東京の墓所
明治以降、各地の小笠原家は上京したので、近代以降の墓所も都内に集中する。
海禅寺
浅草の西隣り、かっぱ橋本通りにある臨済宗妙心寺派の大雄山海禅寺(写真)は、江戸在府中に亡くなった歴代小倉藩主の菩提寺だった。
小笠原氏の伝統的な菩提寺である”開善寺”と同じ発音のここは、平将門が創建といわれている。
小笠原家のほかに蜂須賀家の墓所でもあった。
寺は今でも健在だが、歴代藩主の墓は今は遺構らしきものしか残っていない。
墓所には「小笠原家」の新しい墓があるが、家紋が惣領家のものとは異なる。
多磨霊園
多磨霊園には、忠忱以降の惣領家の墓がある。まだきちんと訪問していない。
幸龍寺
世田谷区烏山の”寺町”の中央部にある日蓮宗幸龍寺には、長行を始めとする唐津小笠原家の墓所がある。東京に住んだのは長行からだが、この寺の檀家になったのは子の長生から。
墓誌(写真左下)には、歴代藩主が名を連ね、さらに初代の忠知の父、秀政(19)から記されており、宗家につながる血筋であることを主張している。
また敷地内に立派な宝篋印塔があり(右写真)、どこからか移設された感じ。
隣の小笠原長隆夫妻の墓の横に、「忠犬鈴谷之墓」なるものがあり、主人に愛されたことがわかる。