3月末以来の鼻風邪が一向に完治しないのは、少し良くなった段階で山に行ったりして、体力を使ったせいのようだ。
先日の3日も春日部に行って、入浴までしたので、風邪は治らず、4日は一日中家にいた。
夕方、一時外出したら寒風が身にしみた。
まだ寒の邪気が優勢だ。
なので5日も、本当は山に行くつもりだったが、外の邪気に触れぬよう大事をとって家に篭る。
その分、読書も進み、600ページもある『バイブレーション・メディスン—いのちを癒す<エネルギー医学>の全体像—』(リチャード・ガーバー、日本教文社)というサイキックなホリスティック医学(ヒーリング)の本を読み終えた。
本書を含む内外のこの種の本によると、サイキックの世界では、神智学的なエーテル体・アストラル体・コーザル体などの人体をとりまくエネルギーの多重構造と人体内の7つのチャクラは共通の前提となっている。
システム2(論理的知性)による文化圏を越えた理論の統合が進んでいるわけだ(ただし、私のシステム2では受け入れていない)。
その中で(私が存在を認めている)、オーラと同一視される”気”は物質的身体側に近い扱いになっている。
実際、代替医療としてホリスティック医療よりも認められている中国医学(私にとっては”臓腑経絡学”)の書を読んでも、”気”は血液などの体液や神経系とほとんど同じくらいに実体視されている。
私個人はこれら”内気”(体内の気:生命エネルギー)と易が扱う”外気”(体外の気:宇宙エネルギー)との関連を探りたいのだが、内気を扱う臓腑経絡学にとっては外気は大気や栄養素と同じ物質的な外因にすぎないし、易学においても内気はほとんど無視されている(使われるのは疾病の易占だけ)。
易の有意味性を理論化しようとしたのは「共時性」をキーワードにしたユングくらいで、陰陽思想が本来もっているはずの、内気(ミクロコスモス)と外気(マクロコスモス)との交流モデルは、宋学以降ほとんど進展していない(小野沢精一他編『気の思想—中国における自然観と人間観の展開—』東京大学出版会)。
陰陽思想は、途中から混じってきた通俗的五行思想を排除すれば、宇宙にあまねく作用している4つの力の1つである電磁気力(現代物理学でも認められている宇宙エネルギー)に対応させたデジタル(bit)モデルとして再生できるのに…。