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カカオ80%の夏 永井するみ
理論社が刊行している若い読者を対象としたミステリー・シリーズ「ミステリーYA!」の中の1冊。このシリーズの本を表題の「カカオ80%の夏」を含めて3冊読んでみたが、いずれも、社会問題を背景としたシリアスな事件がでてこない(もちろん若い主人公にとっては大事件なのだが)という共通点がある。このシリーズの書き手は必ずしも「若手作家」ではなく、どちらかというとどのような書き方もできる器用な人気作家が、若い読者を想定して書いたミステリー作品群ということになる。作者としては、「深刻な社会問題を扱うと若い読者には敬遠されるだろう」ということで、今言ったような共通点がでてくるのかもしれない。あるいは、若者の社会性の希薄化が進んでいるから、若者が関心を持つ世界がどんどん狭くなっているからということで、若者の世界を描くと自然とそういう話になるということかもしれない。それはそれで正しい判断であろうし、読んで楽しければ良いのだが、問題は、そこに果たして本当の現代の若者が書かれているのかということである。
そういた意味で言うと、「カカオ80%の夏」には、「現代の若者はこういう思考回路を持っているのか」という点で非常に新鮮な発見がある。それは、若者の「友達」というものの定義である。若者における「友達と携帯電話でつながっているという感覚」などは、すでに言い尽くされているが、この本を読んでいると、その背後にある若者の「友達」の定義そのものの我々との違いに思い至るのである。それは、なぜMixiが若者の間で新しいコミュニケート手段として急速に普及しているのか、という問いに対する答えと同根なのだろう。そうした「若者」の姿が、評論とか解説ではなく、主人公の取る行動そのもので描写されているのである。「ミステリーYA!」シリーズに対しては、若者におもねるのではなく、この「カカオ…」のような作品を提供し続けてもらうことを期待したい。(「カカオ80%の夏、永井するみ、理論社)
そういた意味で言うと、「カカオ80%の夏」には、「現代の若者はこういう思考回路を持っているのか」という点で非常に新鮮な発見がある。それは、若者の「友達」というものの定義である。若者における「友達と携帯電話でつながっているという感覚」などは、すでに言い尽くされているが、この本を読んでいると、その背後にある若者の「友達」の定義そのものの我々との違いに思い至るのである。それは、なぜMixiが若者の間で新しいコミュニケート手段として急速に普及しているのか、という問いに対する答えと同根なのだろう。そうした「若者」の姿が、評論とか解説ではなく、主人公の取る行動そのもので描写されているのである。「ミステリーYA!」シリーズに対しては、若者におもねるのではなく、この「カカオ…」のような作品を提供し続けてもらうことを期待したい。(「カカオ80%の夏、永井するみ、理論社)
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