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毒殺魔の教室 塔山都

「イヤミス」という言葉がある。「読むとイヤな気持ちになるミステリー」という意味の言葉だ。世の中の大方のミステリーには殺人事件のような凄惨な事件が付きものだし、犯人という悪人も登場する。従って「ミステリー」とは多かれ少なかれ読んで「いやな気持ちになる」という要素を含んだ小説という言い方もできる。但し、「ミステリー」の全てが読んでいやな気持ちになるか、というとそうでもない。「容疑者Xの献身」のように「イヤミス」の対極にあるような美しい作品もまれにだがあるし、そもそも通常のミステリーの場合は、読者が読後にあまりいやな気持ちにならないよう、作者自身が「救い」を用意しておくことが多い。「救い」とは、犯人がやむを得ず反抗に至った悲しい過去であったり、犯行後の犯人の改心であったりいろいろだ。そうした「救い」の要素が少ないミステリーを「イヤミス」と呼ぶ。「イヤミス」は読む方も辛いが、書く方はもっと辛いのではないかと思う。
 この作品は「かなりのイヤミス」という評判の作品だ。書評でもそのような評価がされていた。被害者が小学生、犯行現場が小学校の教室というだけで「イヤミス」の資格は十分だが、読んでいると、登場してくる小学生の大人びた言動にどんどん「イヤミス」度がアップしてくる。ただ、同じ頃に刊行された湊かなえの「告白」とどこか似たようなシチュエーションで、どうしてもそれと比較されてしまうのは、この作品にとっては明らかに不運なような気がする。話の構成は、インタビューのテープ起こしのような文章あり、手紙あり、新聞記事ありで結構複雑な感じだが、不必要な複雑さではなく、読者にはとても判りやすく読める点に大変好感が持てる。(「毒殺魔の教室」塔山都、講談社)
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