キキ便り

アメリカ便り、教員・研究者生活、シンプルライフ、自閉症児子育てなど

博士論文の謝辞を書きながら、回想にふける

2008-04-04 04:57:11 | 博士課程で学んで
博士論文もそろそろ仕上がりの段階です。11日にFedExで論文審査委員のもとに原稿を送る予定なのですが、仕上がるかどうか、きわどいところです。

昨日は、論文の一番最初の謝辞(Acknowledgements)を書きました。アドバイザーをはじめ、家族や協力してくださった人たちへのお礼の部分なんですが、書きながらジーンとしてしまいました。なんて私って単純なんだろうって自分でも思ってしまいます。

たくさんの人たちに支えられながらここまでたどり着けたこと、実感しています。特に、献身的に協力してくれたオットには感謝の言葉、言い尽くせないです。またここで、文章を紹介しますね!
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博士論文完成目指して

2008-02-26 12:18:20 | 博士課程で学んで
博士論文も1章はなんとかほぼ仕上がり、2章も校正に入って、今週から3章にとりかかる予定です。3章は結果の項なので、莫大なデーターをどう整理してまとめていくか、工夫が必要みたいです。

終わりがナカナカ見えなかった博士論文だけど、少しずつ目途がたって嬉しいですぅ。3月中にほぼ完成させて、4月にはディフェンスに!と思っているんだけど・・・

一日48時間あればいいのに!というのが私の毎日です。やることが沢山山積みになっていて、時間との勝負です。反対に息子は、時間が早くたって、夏休みがくるのが待ち遠しいみたいです。二人の時間を合わせて、2で割りたいな・・・。
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異文化のフィルターを通して見えてくる日本の育児・教育

2008-02-11 16:09:32 | 博士課程で学んで

比較文化研究していると、日本独自の育児や教育概念を代表するような言葉があることに気づかされます。今日、アドバイザーからもらったフィードバックに目を通しながら、次のようなことを考えてみました。

1.代弁する。子どもの気持を代弁するというのは、アメリカの教育や育児の中であまり使われない言葉です。共感などにしてもそうです。日本の場合、子どもの気持を理解するということに対する思い入れが、非常に強いような気がします。

2.見守る。これも英語にしにくい言葉です。よく気をつけて見ていくと、日本の育児雑誌や保育関係の本の中で、非常に頻繁に使われていることが分かります。無介入というニュアンスを持つ言葉で、アメリカでは、Ignore- 望ましくない行為を無視する、意図的に見過ごすというアプローチがあります。日本の「見守る」との違いを明らかにしてみたいです。

3.叱る。日本では、ほめると叱るが対比して使われますよね。アメリカでは、ほめる(praise)の反対は、罰を与える(punish)、のような気がしています。実際、アメリカの育児本などでは、それ程、叱るという言葉が出てこないのです。「叱る」ということにこだわる日本の教育や育児を分析してみると、面白いような気がします。

とめどなくアイディアが浮かんできて面白くなっているのですが、果たして完成させることできるのかしら~?? 

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アドバイザーと二人三脚で進む博士論文

2008-02-05 14:51:23 | 博士課程で学んで

博士論文は、アドバイザーと二人三脚で、ゴールに向かって進んでいくようなようなものなんです。

一人で先走りしても、アドバイザーの協力がなければ、前に進まないんですぅ。。

年末頃から、アドバイザーにメールをしてもなかなか返事がこないので、計画が順調に進まず、はらはらしていた私でした。Dept. of Health and Human Services (保健福祉省)の研究助成金のレビューアーとして忙しくしていたらしいんです。アドバイザーが活躍するのは、嬉しいことなんですが、フィードバックがなかなかこないのは辛いものがあります。

これでは卒業が危うい!と心配になった私は、自分の今後の予定や締め切りを細かく書いて、アドバイザーにメールしたんです。返事は、自分は今学期とっても忙しいけど、あなたのことは最優先に考えている、ということでした。そしてなるべくメールのやりとりを最小限にするために、完成品に近い原稿を送って欲しいとのアドバイス(プレッシャー?)です。

私のアドバイザーは、文章が非常に練られていて、ボキャブラリーが豊富なんです。こういう人の下で勉強できるのは、感謝なことなんですが、要求水準もかなり高いです。ある時、私の書いた原稿を一字一句全て直されたこともあるんです。

限られた自分の能力を生かしつつ、前向きにラストスパート取り組んでいきたいです。

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アメリカの育児ばとる -ばあば世代とどこが違う?その1

2008-02-04 09:06:38 | 博士課程で学んで

今、博士論文の中で、育児の国際比較研究を育児雑誌や育児ネットの掲示板を分析して行っています。

時々おもしろい記事に出会い、思わずブログに紹介したくなってしまいます。今回は、育児方法の世代間の違いについて取り上げたアメリカの育児雑誌 American Babyの記事からです。

ばあばの娘への文句 トップ5

  1. 子どもの面倒見てあげたいんだけど、あんまり期待しすぎないでね。
  2. 私は馬鹿じゃないわよ。おむつの替え方くらい知っているわよ。
  3. 私が遊びにきた時くらい、テレビ消してよね。
  4. 私に、子どものしつけ押し付けないでね。
  5. 子どもをあまやかしすぎ、って批判されるのが嫌なの。

かなり、日本とも共通していますよね。特に、祖父母が子どもをつい甘やかしてしまう、っていう点は、国境を越えてどこでも見られるんでしょうね。

コミュニケーションの誤解も目につきます。

もしばあばが「6週間で離乳食を食べさせてたわよ」と言うと、娘は「うちのママったらなんにも分かってないんだから」と思うが、ばあばの意図は「時代は変わったわね」。

もしばあばが「あなたはもっと育てやすかったわよ」というと、娘は「もっとしつけをちゃんとすると、育てやすくなるわよ」というメッセージとして受け止めるが、ばあばの意図は、「ただ昔を思い出していただけなのに」。

お互いの言葉や行為に、ぐさっと傷つきあってしまうのは、どこでも見られるんですね。そういう母親のジレンマは、アメリカの育児サイトの掲示板にも、「うちのばあばは、おむつなんか簡単に外れたわよ、ってプレッシャーをかけてくるんだけど。私もちゃんとやってるのに」という風に、育児仲間の共感を求めて投稿されているんです。

こう考えると、育児サポートというのは量ではなく、質の問題。また当人がサポートとして受け止めているのかプレッシャーとして受け止めているのか、によって違ってきますよね。

育児をめぐる問題は奥深くて、オモシロイです。

 

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推薦書を書く

2008-01-22 10:53:17 | 博士課程で学んで
アメリカに来て、なぜか推薦書を書く機会が急に増えました。

大きく分けると次の3つのタイプです。

1.子どもの学校の担任の先生もしくは特殊教育の先生を、その年のベストティーチャーとしてノミネートする推薦書。このたぐいの手紙は、頼まれるというより、書いてくださいという学校からのお知らせに、自主的に応じたものです。いつもお世話になっている先生には、それくらいして恩返ししたいです。

2.大学院受験のための推薦書や奨学金獲得のための推薦書。これは、比較的年齢の若い人から頼まれる手紙です。たとえば、授業の受講生から推薦書を書いて欲しいと頼まれたこと、何回かありました。

3.自分の所属する学部の学部長もしくは大学院プログラムのディレクターからの依頼で、うちの学部をもっとも優れた学部として推薦する手紙、私のアドバイザーをベストアドバイザーとして推薦する手紙を書いて欲しいと頼まれるケースです。これは、かなりレベルの高い手紙が要求されるので、2,3時間費やしてしまいます。

どの手紙にしても、その人の優れたところをいろいろな観点から1段落ずつに分けて、書いていきます。観点はだいたい、4つくらい考えるようにしています。そして、ありきたりのリップサービスじゃなくて、具体例や数値などを挙げながら、信頼性の高い手紙を書くように心がけています。

限られたボキャブラリーや言語表現の中でも、誠意の伝わる手紙を書こうと心がけることで、結構いい手紙が書けるみたいです。
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アドバイザーの条件

2008-01-09 05:02:08 | 博士課程で学んで
これは、私のまったくの主観的な意見なんですが、体験に基づいて書きますね。

1.Eメールの返事がすぐ返ってくる教員
 どの教員も、複数の仕事を同時平行でこなしていかなければならないので、院生の指導を後回しにする場合があります。何度メールを送っても、返事が返ってこない教員もいます。本人いわく、忙しさのあまり、忘れてしまうそうです。

 私のアドバイザーは、その点、10中9の割合でメールを出したその日または翌日に返事を書いてくれます。もし書けない場合は、書けないので待って欲しいという内容のメールを書いてくれます。学会などの出張の場合でも、緊急のメールには応じてくれます。

 たとえば、緊急で相談にのって欲しい時、論文を添削して欲しい時など、メールが返ってこないと院生として非常に不安になるものです。院生も、時間との勝負で生活しているので、アドバイザーから返事がこないことによって、締め切りに間に合わないことも出てきます。メールのやりとりが順調に行くことで、大学院生活も起動に乗りやすいです。

2.自分の研究テーマ(博士論文のテーマ)に非常に興味を持ってくれる教員
 誰でも、興味のないことを持続するのはつらいものです。私の場合、ずっと長い間、頭でイメージしてきた研究のテーマを、アドバイザーが非常に面白く思ってくれて、応援してくれたのでここまでやってこれました。博士論文の指導は長期戦ですし、終了した後も共同で論文を投稿する場合もでてきます。私のアドバイザーは、頻繁にvery, very interesting!とコメントしてくださり、ぜひこれは投稿して世の中に紹介するべきよ、と励ましてくれています。そういうサポートがあったことで、自信が少しずつつき、長い道のりを比較的苦にならずにやってこれたんだと思っています。

3.精神的にオトナである教員
 院生は結構頻繁に、アドバイザーを変えています。相性の問題もあるし、先ほどの例のように連絡がとりにくいアドバイザーだとやりずらいということで変える場合もあります。私も最初の頃に、アドバイザーを変えました。一応は、自由に変えてもいいという名目なんですが、元のアドバイザーが面白く思わないこともあります。プライドが傷つけれてしまうんでしょう。ということで、変える時には注意深くやらないと、教員の心情を損なってしまうことがあるので覚えておきたいです。

 やはり見ていると、おおらかで面倒見のいい性格の教員の元には、院生がたくさん集まってきます。いつも忙しそうにしていてストレス過剰だったり、大学に殆ど顔を出さない教員のところには、学生も集まらないみたいです。どの職業でもそうですが、バランス感覚があり、精神的にヘルシーな人とは、接していて居心地がいいんでしょうね。

 最後になりますが、やはりアドバイザーも院生を選びます。特に人気のあるアドバイザーは、あまりにも沢山の院生を同時に指導するわけにはいかないので、Noと言わざるをえないのです。そういうことで、普段から学生として自分はどうなのか、ということもあるでしょう。授業にきちんと出席しているか、課題の提出日を守っているか、ということはもちろんのこと、授業での発言やレポートの内容などで、この学生なら指導の価値があると思われるかどうかです。そして何よりも社会常識があって付き合いやすい人なのか(気難しかったり、極論に走ったり、自己中心的だと敬遠されるかも)ということもあるみたいです。

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アメリカで子育てしながら博士号取得を目指している人のために:その5

2008-01-04 06:02:15 | 博士課程で学んで
私の経験からですが、ある程度社会人になって世の中を経験してから、院に戻ると勉強の面白さが倍増します。

20代の大学生と席を並べて授業を受けるのは、違和感がある場合も多いのですが、社会でいろいろなことを経験した視野から授業に出ると、発言したいという思いも高まってきます。

たとえば、テキストを読むという行為でも、自分の体験や普段考えていることオーバーラップしながら読めるので、歯ごたえがあります。(20代の時の私は、何を読んでもちんぷんかんぷんだったような気がします)。納得したり、反発したり、思い巡らしたり。。。。自分の中で対話を形成していくのです。そういう経験をすると、授業で交わされる議論にもついていけますし、新鮮な意見を出すことも可能です。確かに、英語を母国語としていないというハンディから理路整然と述べることは難しいかもしれませんが、アイディアのキャッチボールくらいなら年数とともに出来るようになってきます。

アメリカ人の学生は、一般的に非常に忙しく生活しています。日本よりも親からの金銭的な援助を受けている場合が少ないため、バイトを複数かけもちしながら生活しているのです。そういう学生たちは、意外とテキストを読んでいなかったり、斜め読みにしたり、手抜きしているものです。

しかし、留学生の存在では、うまく手抜きしながら授業に参加するのは、難しいと思います。私もそうですが、どこで手を抜いたらいいのかわからないのです。自分の勉強になると思って、出された課題の本や論文などは、やはり全部読むつもりでいた方が無難だと思います。

極端な例ですが、ある社会学部の授業で、学期中に本10冊以上テキストとして買わされ、論文も20本以上読まされました。それ以外に参考図書もありました。そして、毎週10ページ以上のフィルドノートを書かされました。あまりの課題の過酷さに、当初の半分くらいの学生が去っていきました。

私がサバイバルできたのは、授業で使った本や論文が面白くてためになったからです。読んでいくうちに、こういう研究ぜひやってみたいとか、アイディアがどんどん沸いてきて、知的充実感みたいなものを毎回感じさせてくれました。そういう私のやる気みたいなものを、この授業のインストラクターは理解してくれたようで、授業の最終日に、よくがんばってくれたわね、と感謝してもらえました。

以上述べたことは、全ての人の例にあてはまらないかもしれないのですが、授業の内容やテキストが面白い、と感じられるようなレベルになって、大学院にいくのが成功の秘訣かもしれません。生涯教育や社会人大学が流行している理由も、ここにあるのかもしれません。
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アメリカで子育てしながら博士号取得を目指している人のために:その4

2008-01-03 06:18:01 | 博士課程で学んで
子育てしながら大学院に通って一番気になるのは、子どもの病気です。

これは私の考えなのですが、基本的に子どもの病気を理由に授業を欠席するのは、1コースにつき1、2度くらいまでで、後はどうにかしてでも授業に出席するべきです。院の授業は、大抵週1回または、週2回くらいの割合で開講されますので、頻繁に休むとかなり印象を悪くしてしまいます。

教員によって理解度に差がありますので、最初から子どもがいるから大目に見てくれると甘く構えてしまうと、その意識のズレが成績に影響するかもしれません。長期の病気や入院などの場合は、考慮してもらえると思うのですが、カゼなどの理由では頻繁に休めません。

子どもの病気が理由で学校を休んでしまうと、今度は自分がどんなに病気になっても(入院する程なら別ですが)休めなくなってしまいます。欠席日数が多くなってしまうからです。私自身、感染性の病気は別として、どんなに体調が悪くてフラフラでも授業に出るようにしました。

これだけシビアに考えるのは、私自身の院生としての体験、そしてティーチングアシスタントやインストラクターとして授業を教える立場にかかわった経験からなのです。アメリカ人の学生でも、いろいろな理由で授業を休まなければならないと、教員にEメールを送ってきます。

たとえば(1)熱が出たので他の人にうつしたくないので休ませて欲しい。(2)婚約者が病気の検査を受けなきゃいけないので(重い病気の可能性があるので)付き添いにいきたい。(3)就職面接(バイト面接)を受けなきゃいけないので休みたい。(4)親が久しぶりに他の州から遊びに来たので、一緒にディナーを食べたいので休ませて欲しい。こういう理由に度々応じて考慮してあげていると、キリがないのです。

そうすると、教員もだんだん応じるのが面倒になり、たとえ病気でもなんでも、欠席は欠席!という決断を下さざるを得なくなるのです。公欠は別ですが。。(運動選手が対外試合で他の州に遠征に出かけるなど)

パートナーや伴侶の方が、仕事を休める融通のある場合は別ですが、基本的にはベビーシッターを日常から探すなど、サポート体制を整えておくことが大切です。そして何よりも、普段から家族みんな睡眠をよくとり、おいしいものを食べ、適度に体を動かして、健康を心がけることです。
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アメリカで子育てしながら博士号取得を目指している人のために:その3

2007-12-31 05:01:29 | 博士課程で学んで
当たり前なのですが、子育てにはお金がかかりますよね。アメリカでは、子どもの衣服は結構割安でおシャレなものも多いし、がレージセールやアウトレット(特に祝日前後にChildren's Placeに行くと1ドル前後の激安の服がいっぱいでお買い得)で予算をかなり切り詰めることができます。

逆に、おむつ類などは結構高くて、うちの場合自閉症の息子が5歳までおむつがとれなかったので、かなり家計を圧迫していました。おむつがとれると、月に100ドル近く節約できたくらいです。

そういうことで、なるべく大学院でもお金をかけないようにしようとすると、アシスタントシップをもらうのが一番てっとり早いんです。アシスタントシップをもらうと、授業料が免除になり、かつお給料ももらえます。このお給料は、大学や学部、また博士課程生か修士課程生かによって、異なってきます。ところが、このアシスタントシップにも、いろいろ落とし穴があるので、体験から少し述べてみます。

1.たとえば週10時間のアシスタントシップという名目で、授業を1コマもたされる場合、留学生の私だと、実質30時間くらい授業の準備やレポートの添削、学生とのメールのやりとりなどで費やしていました。特に、今まで教えたことのない授業を教える場合は、内容を理解把握するだけでも十分時間がかかります。そうなると、本業(フルタイム生として1セメスターに最低9時間を受講)と両立させるのが難しくなってくるので、注意した方がいいです。

2.そう考えると、リサーチアシスタントになる方が賢明かもしれないです。しかし、私たちの学部には、リサーチアシスタントのポジションが少なく、GREのスコアがそれ程芳しくなかった私のところまではなかなか回ってきませんでした。また教授陣がどれだけ外部研究資金をもらっているかにも影響されてきます。リサーチアシスタントの内容にもよるのですが、うまくいけば共著で論文を出す機会にもなります。

3.ただ、将来アメリカの大学でFacultyとして就職したいと考える人は、授業をアメリカで教えた経験がないと不利になってきます。これは分野にもよるのかもしれないのですが。。。特に将来永住権を取得したい人は、職務としてTeaching関係のことが含まれていた方が有利だそうです。これは、かつてInternational FacultyまたはScholarのビザ取得の手続き関係の仕事をしていたオットの経験からの話です。
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アメリカで子育てしながら、博士号取得を目指している人のために:その2

2007-12-30 05:16:33 | 博士課程で学んで
今もそうなんですが、院生として母国語じゃない言語で勉強するとなると、時間が非常にかかります。私の能力が足りないからかもしれないんですけど、学術論文を批判的に読まなければならない場合など、1つの論文に10時間以上もかかることもあるし、集中力にも限界があり時々ブレイクをとらないと続きません。

レポートやペーパーでは、やはりネイティブに添削をしてもらった方が、インストラクターの人にはグラマーの間違いに気をとられずに読んでもらえます。アメリカ人の学生でも、ペーパーを書く能力に非常に差があるので、留学生にそれ程高い英語の水準を期待していない教員もいるのですが、人さまざまです。

ある時、オットに添削してもらったファイナルペーパーに、ちゃんとネイティブの人に見てもらってから提出してくださいという、コメントが書いてありました。オットは一応修士号を持っているのですが、学術論文の細かな規約やスタイルにあまり慣れていないため、見落としたところが多かったのでしょう。ということで、ネイティブであれば誰でも、というわけにはいかないようです。

最初に戻るのですが、母国語でない言語で勉強するとなると、このように手間隙がかかるので、時間をうまく管理しないと家族にしわ寄せがきます。基本的には、夫婦の関係がしっかりしていれば、うまく乗り越えられるのですが、私たちの場合のような長期戦だと忍耐にも限界が出てきます。

博士課程の過程や、アシスタントプロフェッサーで終身雇用を得る最初の5年間などには、離婚する確立も高くなります。しかも、大学院はお金がかかるし、生活レベルを落とさないとやっていけない人が殆どです。そして私たちの場合、それだけでなく、障害児の子どもを持つ、という離婚のリスク条件も抱えているので、気をつけないと家庭破壊を招きかねないのです。

このような環境だと、一つひとつのことをよく選択していかないと、夫婦関係にヒビが入ってしまうのです。私の場合、たとえば学会などは、行きたくても金銭的にかなり家族に負担になってしまうし、その間子どもを見てくれるベビーシッターなどのことも考えると、我慢するようにしました。ということで、私のVita(履歴書)の学会発表のリストは、他の人に比べて短いんです。また院の仲間との飲み会やミーティングなどはなるべく遠慮し、その分何人かの人と仲良くなり、時々家に夕食に招いたりなどして、家族ぐるみのつきあいをしました。

今でも何を優先順位にしたらと、ずいぶん迷うことがあります。幸いアドバイザーが子育て経験者で、私が自分の子どもの教育を大切に思う気持ちに共感し、応援してくれたので、ここまでやってこれたような気がします。





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アメリカで子育てしながら、博士号取得を目指している人のために:その1

2007-12-29 03:04:53 | 博士課程で学んで
将来子育てをしながら院で勉強したいと考える人のために、ちょっと体験をまとめてみます。個人的な体験でお役に立つかわかりませんが、1つでも参考になればうれしいです。

私の場合、子ども二人を育てながら、1999年より大学院に戻りました。二人が未就学の頃は、1学期に1コマというスローペースで進め、それから引越しも度重なったので、ずいぶん長く院に在籍するに至りました。

息子が自閉症児だということも、院での学びをスローにした一因です。小学校に入る頃まで、障害児を対象としたプレスクールに通わせたり、行動療法、言語療法、作業療法を試してみたり、障害児のお友達のプレイグループに参加させてもらったり、忙しく生活してきました。でも考えてみれば、こういう体験を通して出会った人々や学んだことは、私たちの人生のたからものです。

日本でもそうですが、アメリカの大学院では、その教育の質や学生への要求度にかなり差があります。最初に所属した院は、どちらかというとTeaching University(教育にウェイトを置く大学)部類の大学で、レポートやリサーチペーパーなどはそれ程高い水準を求められていなかったこともあって、日本から移住したばかりの私にはちょうど良かったんだと思います。オットの仕事が変わったことで新たな地に引越し、次に在籍した院は、Research University(研究にウェイトを置く大学)でした。またこの院は、その専門分野では全米でも名が知られていることもあって、レベルの違いを実感しました。

子育てしながら院に通って気になるのは、子どもの保育や教育です。最初の大学は、院の授業がすべて夜間、開講されていることもあって、オットに子どもを見てもらうことができました。次の大学は、大学院レベルでも日中開講されている授業が多かったので、上の子が小学校に上がるまで待ちました。その後、下の娘を大学付属園に9時から3時まで預け(丸1日預けると保育料も高く、私たちの財政状況では難しかったので)、フルタイムの学生生活が始まりました。

日本と大きく違うと感じるのは、極端な言い方をすれば、保育の質をお金で買うことです。アメリカのいわゆる保育園やプリスクールは、保育者の質が一般的に低く、私が在住してた州では、高卒でなくとも結核検査にひっかからなければ保育者として働けるのです。となると、大学を卒業していたり、保育を専攻しているような保育者が集まるところでは、お給料もそれに応じて高くなり、その結果保育料が高額になってしまうのです。

アメリカでは、いろいろな保育施設を見てきました。子どもをゆさぶって叱りつける園、母乳では手間隙がかかるから粉ミルクを持ってきてほしいと親に命令する園、子どもはおもちゃを口に入れたりして衛生管理が大変だからとその数を減らす園。そういう内情を見てきた者とすると、空きさえあれば、どこにでも子どもを預けるというわけにはいかないのです。

しっかりした園に子どもを預けることができると、親も安心して院の勉強に励むことができます。そして、信頼関係を築いていくことによって、時々融通も利くようになり(多少咳をしてても、子どもを預かってくれるなど)、子育ての相談をしたりなどもしやすくなります。保育の質の低い園では、保育者が学期の途中でも仕事をやめる割合が高かったり、保育者自身がストレス過剰の生活を送っていることが多いため、サポートを受けることが困難になります。そして何よりも、子どもに与える影響が心配になりますよね。

ということで、保育サービスの質を考慮すると、地元にどういう保育施設があるかよくリサーチしてから、院での学びを始めるタイミングを考えてはどうでしょう?
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やっぱりネットワークに支えられているんですね

2007-12-27 07:50:57 | 博士課程で学んで
去年の冬、博士論文の資料集めに日本に帰省した時、ある先生のとりはからいで、育児不安の研究で著名なM先生にお目にかかることができました。その先生の大学の研究棟の階段を登っていると、見覚えのある昔お世話になった先生の名前を見つけたんです。この先生がO大学に移られたとは知らなかったので、びっくりしてしまいました。思わずドアをノックすると、懐かしいお顔が.....

こういう偶然の嬉しい出会いで、この先生がPIとして取り掛かっていらっしゃる、こども未来財団委託のプロジェクトのお手伝いをすることになりました。ということで、年末は原稿書きです。

人とのつながり、本当に大切ですよねー。ネットワークに支えられながら、今日の自分があることを実感しています。いろいろ情報をもらったり、提供したり....それだけじゃなくて温かいメールのやりとりなどを通して、励ましをもらっているんです。来年は、どんな風にネットワークが広がっていくのか楽しみです。
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眠れない夜

2007-12-09 15:42:55 | 博士課程で学んで
アメリカに移住してから、時々夜中にはっと目が覚めて、いろいろなことを考えてしまって眠れないことがあります。日本でも忙しく仕事をしていたけど、仕事のことが気になって眠れなかったことはなかったような...そう考えるやっぱりプレッシャーの中で生活しているんですね~。

ペーパーの締め切りで頭が爆発しそうになった時。
夜の院の授業から帰ってきて、頭がランラン冴えてしまった時。
授業を教えた後「ああしたほうがよかった~」と後悔ムードに陥る時。
「やらなければならないこと」と「できること」のギャップが大きすぎる時

特に、大学院という特殊な環境の中で生活していると、人間の価値が、「研究業績」で図られるように錯覚してしまうのです。論文発表の数、発表したジャーナルや学会のランクの高さ、獲得した助成金の額やランクの高さ、受賞した賞や奨学金の知名度などで、お互いをライバル視してしまうような...まさしく「競争社会」です。

自分の仕事を愛し、情熱を持っていても、このような空気の中で過ごしていると、時々どのように仕事と距離を取ったらよいのか分からなくなってしまうことがありますね。このアカディミアにおける競争は、一時的でなく定年退職まで続いていくんです。かなり強靭な精神力と秀でた能力がないと、太刀打ちできませんよね。しかも、語学のハンディを抱えながら、子育てと両立させていくには、プラス「楽観性」(ケセラセラ)も必要なんでしょうね。

近頃、凡人の私に今できることは、「精神力」づくりじゃないかと思っています。私のアドバイザーが、「顔の面が厚くならないとやっていけない」と諭してくれましたが、本当にそうですよね。一つずつの出来事を、全部抱え込むんじゃなくて、小さなことは水に流してしまうこと、大切ですよね。この点で、Richard CarlsonのDon't sweat the small stuff(小さなことにとらわれない生き方)シリーズの本が役に立ちそうです。

それから「楽観性」にしても、これがだめながら次の道が開けるみたいな風に、何事も手綱を緩めておくこと、精神衛生上大切ですよね。オットが約2年間就職活動で苦労した経験から、教えられました。決まりそう!と思ってた仕事が次々にだめになってしまって、そのたびに二人とも落ち込んでしまったけど、結果的に与えられた今の仕事が一番条件が良かったみたいです。

プレッシャーと上手につきあえますように、これが今の私の目標です。

















 
 
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データー保管に四苦八苦する博士候補生

2007-12-09 01:37:24 | 博士課程で学んで
論文にとりかかっていると、忘れてならないのは、データーの整理です。だんだんデーターが増えてくるにつれ、管理を怠ってしまうと、何が何だかわからなくなってしまいます。今のところ、データーのバックアップとして2種類のUSB Driveに取っておくようにしています。ある教授の話だと、家が火事になってデーターが焼けてしまったりすることもあるので、昔は冷凍庫に保存したとか…でももし冷蔵庫も焼けてしまったらどうなるんだろう?なんとも思ってしまって……銀行の金庫にでも、データー預けておいた方がいいのかしら?

うちの場合、コドモがコンピューターを使うこともあるので、寿命がかなり短いんです。CDドライブにクレジットカードを入れられたことも!お店でクレジットカードを使う姿を見て、何でも手に入れる魔法のカードだと思ったんでしょう、と妙に納得した私です。ということで、コンピューターのハードドライブに保存しておくだけだと、アブないんです。

一度、学術雑誌への掲載のために1年以上分析し続けたデータをコンピューターの故障とともに、失ったことがありました。その時は共同研究していたアドバイザーがちゃんとバックアップのデーターを取っておいてくれたので助かったけど、呆れられてしまいました。彼女は、データーは3カ所の異なった場所に保存しておくそうです。見習わなければならないですよね。急がば回れ??です。

落とし穴だったのは、OutlookのEmailも故障と同時に失ってしまったこと...知人からのメールアドレスも含めて、大切なEmailでのやりとりが全部なくなってしまって、うっ~ その教訓を踏まえて、博士論文に関するアドバイザーとのメールのやりとり、ワードに落としてとっておくようにしてます。きっともっと効率いいやり方あるに違いないんだけど...知りたいです。
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