キキ便り

アメリカ便り、教員・研究者生活、シンプルライフ、自閉症児子育てなど

大学対抗のフットボール試合観戦

2006-10-30 23:48:28 | アメリカ便り
 アメリカ流に秋を楽しむとなると、大学対抗のフットボールの試合の観戦であろう。地元でゲームが行われる週末には、私たちの住んでいる州のあちこちから、この大学町に人が集まってくる。応援に駆け付けた車を見ていても楽しい。大学のマスコットのぬいぐるみのしっぽをトランクにはさんで、走っている車はとても滑稽で可愛く、思わず真似をしたくなる。またチームカラーの黄色と黒のトレーナーやジャケットを着た人たちと一緒に、ぞろぞろと行列でスタジアムに入っていくのは、一つのカルチャー体験である。以前アメリカに来たばかりの日本人の友人が、フットボールが行われた日、地元のレストランに敵チームのカラーの洋服で出かけたところ、皆の視線がやたらと怖かったと話してくれた。
 私の所属する大学院の教授がただで2枚チケットを譲ってくださったので、ベビーシッターを頼んで夫と二人で観戦することにした。その中で、幾つか面白い光景を見た。たとえば、皆が立って、両手を上に挙げ、手をゆらゆらさせるという、暗示をかけているような不思議な場面を見た。夫もそんなジェスチャーを始めて体験し、意味不明だったので、いつかフットボールファンの人に聞いてみたい。またこちらのチームの得点が入る度に、大砲がどどんと響く。以前アストロドームで野球の試合を見た時には、ホームランの度に館内の列車が走りだし、息子が大喜びしたことを思い出す。それから、私たちの大学チーム名のアルファベットの頭文字を皆で声を合わせて大声で唱えて応援するところなど、なかなか感動的である。
 しかし、ルールが分からない私にとっては、ただのボールのとりあいにしか目に映らず、今度是非ルールを覚えてから観戦しようと思った。夫は、応援に熱が入って、立ったり、叫んだり、拍手をしながら、真剣であったが、私は宇宙人のような気分であった。そういえば、ハリウッドの映画では、フットボールをテーマに取り上げたものが多く、人々の共感や感動を集めている。そう考えると、アメリカ人のハートに響く何かがあるに違いない。観戦では、留学生の姿が殆ど見られなかったこととも関係しているのかもしれない。
 
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アメリカの家探し

2006-10-17 23:01:11 | アメリカ便り
 夫が就職面接を受ける度に、家探しが始まる。今までは私も夫に同伴して、夫が面接の間、現地のリアルターに頼んで、いろいろと案内してもらっていたが、今回は行かないことにした。せっかく希望の家が見つかっても、夫の仕事が決まらなかったらその落胆が大きいので、本決まりになるまで、待つことにする。
 そうはいっても、1ヶ月前からインターネットのデーターベースで家を検索し、大体相場がどんなものか、感覚的につかむようにしておいた。普通、希望の地域、ベット数、バスルーム数、家の大きさ、予算、などの基本条件を入れると、条件に適う家が出てくる。写真がついていたり、3D になっていたりすると、より具体的に家の様子がつかめて、候補に入りやすい。もっと詳しい情報としては、年数、ガレージの数(アメリカでは車3台入るガレージも珍しくない)、プールつき、湖に面しているかどうか、なども検索に入れることが可能である。私がその他、気になるのは、床である。タイル、木、カーペット、ラミネートされたもの、など種類があるが、カーペットは質の悪いものにあたると、掃除が大変だということを経験より学んでいる。
 まず決めなければならないのは、新築の家にするかどうかである。アメリカでは、家が少々古くなってきても、価値が下がることは少なく、その地域の値段が向上すれば、家の値段が2倍や3倍になって儲けた、という話も聞く。以前、築100年の家をリアルターに見せてもらったが、召使い専用の階段があったり、ドアが小さかったり、専用の料理人が使うような大きな台所があったり、など博物館を案内してもらっているようで面白かった。しかし、隣の家が、ジャンクヤードのようにガラクタが山積みされているのを見て、興ざめしてしまった。隣の人のライフスタイルによっても、家の値段が左右されるような気がする。
 しかし、家が古ければ、毎週末は家の修理で終わってしまう、という話もよく聞く。古い家だと、それぞれ個性のある造りになっていて、味のある住まいを楽しめる、という利点はあるものの、小まめにペンキをぬったり、壊れたところを直したり、落ち葉を集めたり、といったライフスタイルが合っている人ではないと難しい。
 新しい家の場合は、木が全て切り倒されて、住宅をつくることが多いため、閑散として、なんとなく寂しい。クッキーカッターハウスと呼ばれるように、同じようなモデルハウスが並んでいる場合も多い。しかし、私たちが今住んでいるような地域では、全て新しい家であるが、いろいろな建築家が入り込んでいるため、家一つ一つ特徴があって、いい雰囲気をかもし出している。私たちは5年前に新築の家に入ったが、その頃植えた木が今では3メートルほどに成長してくれた。そう思うと、新築の家でも、住む人次第で味のあるライフスタイルを楽しめる。
 後、決定要素となるのは、子どもの学区である。公立学校に通わせる場合には、学校の教育レベルが大きな決め手となる。普通は、標準試験のスコアが公開情報なので、子どもの教育に熱心な親はスコアの高い地域の家を探す。私たちの場合は、スコアが普通でも、特殊教育のサービスがきちんと受けられるかということが、気になる。私の友人の自閉症児を持つ親は、息子が学校を逃げ出すことが多いため、その学校近くに引越ししたそうである。私たちは、幸いそこまでの心配は今のところないが、学区によって特殊教育の質に大きく差があるので、考慮したい点である。
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アメリカの小学校便りーユニークな行事

2006-10-08 08:33:12 | アメリカ小学校事情
日ごと秋らしくなってきた爽やかな10月の始めに、小学校4年生の息子のクラスでキャンプをすることになった。午後から校庭に幾つかテントを設営して、寝袋を持ち込んで読書をしたり、雑談したりと楽しい時間を過ごした様子。夕方からは、親も招いてポットラックの夕食会。子どもたちは慣れない手つきでホットドックを金串に刺したものを、キャンプファイヤーの火でローストする。案の定、息子のホットドックは丸こげ。それでも自分で焼いたのがおいしかったのか、こげをとりながら、バンにはさんで嬉しそうに食べてしまう。
 その後は、この春行われた州統一の標準試験の結果の校長先生による説明会。これは小学校の3学年以上と中学生の子どもたちを対象とした毎年行われる共通試験。じつは、この日の前日、結果が渡された。息子はテストの結果があまり思わしくなかったのを知り、涙をほろほろ流してしまう。決して悪い結果ではないが、帰りのバスの中でクラスの友達に成績表を見られ、僕の方がスコアが高いぞ、とちょっといじめられたらしい。毎日努力して宿題もちゃんとやっているのに、という悔しさもあると思う。普段の小テストでは結構満点をもらってくるのに、こういう標準試験というスタイルになると、ひっかけ問題もあって、息子にはプレッシャーになるんだと考える。息子のように、高機能自閉症児(アスペルガーではない)の場合は、もっとストレートに分かるような問題を作って欲しい、などと親として思う。こんなに小さい年齢からテストの点数の心配をしているなんて、かわいそうになる。
 校長先生の説明会の後は、カリキュラムの夕べといって、子どもたちのクラスにいって、学習の成果を見せてもらう。小学校2年生の娘ははしゃいで、自分のクラスへ私たちを案内する。先生から渡されたリストに従って、ノートに書いた詩を朗読したり、作文を読んでくれたり、算数の問題の解き方を説明した掲示板を見せてくれたり、今クラスで取り上げている児童文学の作家について説明してくれる。そして最後には美術、音楽、体育、図書館、コンピューターのクラスへのツアー。イタリアのレッジョ・エミリヤとまではいかないが、子どもたちはそれぞれ誇りを持って、自分たちの学習の過程を親に披露するひとときとなっている。
 この日の締めくくりは、本小学校チアリーダーによるパフォーマンス。いつも思うが、アメリカの小学校で見せてくれる演劇やパフォーマンスは、お世辞でも上手とはいえない。日本の感覚からいって、練習したのかな?と思わせられるが、それでも観客がにぎやかな喝采を送ることで、一つのエンターテイメントとして成り立っている。こういった日があることで、普段は学校から遠のいている親たちも、学校と連帯感を感じることになるのかもしれない。
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フェローシップ

2006-10-06 04:56:20 | 博士課程で学んで
アメリカの大学のリサーチユニバーシティで教職を志望する場合は、研究能力と同様、どれだけ研究助成金を獲得する能力があるかという点が評価の対象となる。そういうこともあって、去年の夏より民間の研究助成金フェローシップに幾つか応募してきた。私の場合、日本の研究助成金を獲得するのは非常に難しい。まず私のような院生を対象としたものは、若手研究者を対象とした研究公募ということで、年齢で対象外にされてしまう。これは、日本の就職の募集要項を見てもわかることで、2分の3くらいは対象年齢が記述されている。アメリカで、これをやったら、差別だと確実に訴えられてしまう。
 自分の実力の足りなさが一番の原因だと思うが、こういうことでいまだかつて自分の力で研究資金をもらったことはなかったが、今回初めて、吉報が入った。大学内部のフェローシップであるが、大学全体で1人又は2人に限定して与えられる博士論文のための国外調査研究のフェローシップがもらえることになった。日本円に換算すると15万円あまりで、日本に渡っていろいろ調査する旅費を全てカバーしてもらえることになった。簡単な研究目的をまとめたアブストラクト、履歴書、訪問先からの研究受け入れ許可を証明する手紙、などが審査の書類であった。絶対もらえないと諦めていただけに、こういう風に展開してすごく嬉しかった。何よりも、審査をしてくれたgraduate schoolの委員会から、今取り掛かり始めたばかりの博士論文に期待を掛けてもらったようで、自信につながったような気がする。すぐ自信をなくしてしまう日本人的?な私は、このことをきっかけに前向きに自分の将来を考えていこう、と今考えている。
 
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アメリカの就職活動

2006-10-03 11:35:32 | アメリカ便り
 夫が就職活動を始めて1年半になる。今の仕事に満足はしているものの、これ以上上のポジションに空きがないので、ステップアップのためには、どうしても他の大学へ移ることが必要になってくる。仕事の内容の割にお給料が少ないのも、家計にとっては痛手である。特に、私が院生ということもあって、アメリカに来てからはできるだけ家計を切り詰めるように二人ともそれなりに心がけてきた。日本で暮らしていた時では考えられないことであるが、子ども服は10ドル以上のものは買わない、食品は広告の品になっているものを買う、外食を避けてお弁当を持っていく、自転車で通勤する、子どもの習い事は小学校まで待つ、とかなりせこい生活をしてきた。そういう生活をしてはいても、貯金は貯まるどころかどんどん減っていくばかりである。そういう事情もあって、Chronicle of Higher EducationやNAFSAなどのサイトを小まめにチェックし、応募を重ねてきた。
 今までの経験では、大抵第一次が書類審査、第二次が電話によるインタビュー、そして第三次が最終面接ということになっている。夫の場合、これまで第三次審査までいったのが2回、そして2週間後に夫にとっては3度目の第三次審査が行われることになった。今回、最終審査に呼んでもらった大学は、アメリカでもかなり規模が大きい州立大学で、住みやすさなどの全米調査ではトップクラスにランキングされているので、是非決まってほしいところ。夫は、留学生や海外から来ている研究者や教授などをアシスタントする仕事に関わってきたが、今回はその留学生センターの所長の職に応募している。前回の経験では、ライバル候補者たちの名前は、大学のウェブで公表され、その人たちの履歴書や志望動機の手紙などもPDF fileで閲覧できるようになっている。そういうこともあって、毎日大学のウェブサイトに落ち着きなくチェックを入れている私であるが、夫は誰がライバルか知りなくないと言う。
 夫のような大学の管理職の面接は、通常一日で終わるが、大学教員となれば2日や3日続くことも珍しくない。模擬授業、研究発表などは勿論のこと、あちこちにひっぱりだされて、面接を繰り返す。もし附属園や附属研究施設などがある場合は、その人たちとも面接をし、総合的に評価が下される。ほっとできるのはトイレに入る時間だけ、と聞いている。そう考えると、私など気の弱い者は、就職探しから足がすくんでしまう。せめて、夫だけでも、希望の職について欲しいと願っている私です。
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