昨日と今日は、トラウマな一日だった。
娘が受験したアカデミー高校の面接を来週の月曜日と火曜日に控え、学校から連絡がくるかと毎日心配しながら待っていたが、何も連絡なし。
昨日の夕方、娘のボーイフレンドのMくんのおかあさんが待ち切れずに学校に電話したそうで、「面接によんでもらえる」との快報。Mくんはうれしさのあまりすぐ娘にそれを伝えたところ、娘はかなり落ち込んでしまう。
娘とMくんの友だちのDくんとAくんもその後、学校から電話連絡をもらい、皆フェイスブックで情報交換。電話の前で待ちかねている娘はだんだん不安になり、涙ぐむ。
娘は、ずうずうしいと思うが自分が面接に呼ばれ、M君が呼ばれないというシナリオを予測していたらしいが、逆だったので心の準備ができていなかったらしい。この様子だとおそらくだめじゃないかと予測し、娘も私もストレスと落胆で眠れない夜を過ごす。
次の朝、夫がアカデミー高校に電話で尋ねてみると「面接者のリストは手元にありません。電話での通知、まだ終わってません」との事務的な連絡。週末。結果がわからないまま過ごすのは、娘にかわいそうだと思い、今度は私が電話すると、「面接者のリストは教えられません。週末までに連絡がいく予定ですから」との曖昧な答え。「今日、電話をもらえなかったら面接に呼んでもらえないということですか?」と尋ねると、分かりませんとの答え。一斉に結果が伝えられないというのは、子どもたちには酷なことだとオットとぼやく。
私は普段は、ストレスでも眠れる方だが、昨日は娘の落胆を思い眠れず苦しい夜を過ごす。
夫が、送ってくれた「荒野の泉」のデボーション。
http://www.crosswalk.com/devotionals/desert/
God does not comfort us to make us comfortable, but to make us comforters.
--Dr. Jowett
中でも、「神様は、私たちに慰めを与えてくれるために慰めるのではなく、私たちが慰めの人となるために慰めてくださる」という言葉が身にこたえる。
夫の仕事探しの時もそうだったが、結果が分からない、ただ待つというのは心が張り裂けそうな思いをすることがある。神様が一番いい道を用意してくださっているとは分かっていても、腑に落ちない結果が出ることがあり、それを仕方なく受け入れる自分を意識する。日本の子どもたちは、高校や大学受験を頻繁に経験し、どんなに重荷になっているかと思いをめぐらす。
おそらく好ましい結果はでないだろうが、娘にとってもっともいい道を神様が選んでくださっているのだと信じたい。